憲法の力を信じて。

事件の記録と検証 第1部

第1部 事実編 ― 確認できる事実のみ

本第1部では、公的記録、判決書、供述調書、実況見分調書、新聞報道、議会議事録等から確認できる事実を整理する。
ここでは、法的評価・解釈は加えない。

新聞報道については著作権に配慮し、報じられた事実の摘示と必要最小限の引用にとどめる。

本ページでは、当時の刑事手続上の地位を正確に示すため、圓谷年雄についても、時期に応じて「被疑者」「被告人」と表記する場合がある。
また、本ページでは、公開上の配慮から、必要な場合を除き、個人名は用いず、役職、立場又は関係性によって記載する。

事故前の状況

2011年(平成23年)10月18日、圓谷年雄は、翌日の議会に出席するための資料等を自宅で作成していた。
同日夕方から、同じ会派の市議らと市内の飲食店において、会派親睦会に参加した。※公開上の配慮から、飲食店名を匿名化した。

2011年(平成23年)10月20日付司法警察員面前調書には、「私が到着した時には、既に2人来ており、その後3人が来て私を含め合計6名で会合が始まりました」と記載されている。
同調書によれば、会合の参加者は、圓谷年雄を含む市議会議員6名であり、全員男性であった。

また、同調書には、会費は2時間飲み放題の1人5,000円であり、飲み放題のメニューの中で、自分はハイボールだけを頼んで飲んでいたとの記載がある。

さらに、同調書には、「私が飲んだハイボール量については、4、5杯位まで記憶があるのですが、それ以上は大分酒に酔ってしまい、覚えていません。また、途中から大分酔ってしまい、会合がいつ終わったのかも覚えていません。」と記載されている。

新聞報道では、圓谷年雄は、午後6時半ごろ「用事がある」と言って途中で退席したとされている。

出典:2011年(平成23年)10月20日付司法警察員面前調書、福島民報2011年(平成23年)10月20日朝刊

事故

2011年(平成23年)10月18日、福島県須賀川市内の市道において、緩やかな右カーブを走行中に反対車線にはみ出し、道路脇のガードレールに衝突する単独事故が発生した。

衝突したとされるガードレール

人的被害は確認されておらず、人身事故には発展していない。

新聞報道では、通り掛かったドライバーが110番通報し、駆け付けた署員が運転席に座っていた被疑者を発見したとされている。

しかし、判決書では、事故時刻は「午後7時40分頃」と認定されている。

一方、事故直後の警察発表に基づく2011年(平成23年)10月20日付及び同月22日付の新聞報道では、事故時刻は「午後7時50分ごろ」とされている。

なお、事故時刻の変遷については、後記「供述調書等の作成状況」の各調書の記載とあわせて確認することができる。

また、事故を起こした車両は普通乗用自動車であり、右前角バンパーが損傷していた。

出典:福島民友2011年(平成23年)10月20日朝刊、福島民報2011年(平成23年)10月20日・22日朝刊、判決書、供述調書、車両写真

逮捕と取調べ

2011年(平成23年)10月19日午後1時10分頃、被疑者は道路交通法違反(酒酔い運転)の容疑で逮捕された。

事故発生の翌日であり、現行犯逮捕ではなく通常逮捕であった。

同日、司法警察員面前の供述調書が作成された。

この初回調書には、出生、養子関係、経歴、職歴、市議会議員となった経緯、飲酒習慣等の身上事項も記載されている。

2011年(平成23年)10月20日付新聞報道では、被疑者が「飲酒したことと事故を起こしたことは認めているが、飲酒運転については否認している」と報じられている。

2011年(平成23年)10月21日、被疑者は検察官送致された。

弁護士事務所作成の計算書には、同日、父から実費預り金20,000円を受領した旨の記載がある。

この記載は、2011年10月21日に弁護士費用に関する金銭授受が発生していたことを示す資料である。

少なくとも、2011年10月19日及び同月20日の供述調書作成時点については、本ページで確認した資料上、弁護士関与を示す資料は確認できない。

出典:供述調書、福島民報2011年(平成23年)10月20日朝刊、弁護士計算書

供述調書等の作成状況

本件では、逮捕後から起訴前までの間に、複数の供述調書及び実況見分調書が作成されている。

確認できる主な資料は、以下のとおりである。

2011年(平成23年)10月19日付供述調書

司法警察員面前の供述調書である。

この調書は逮捕当日に作成された。

出生、養子関係、経歴、職歴、市議会議員となった経緯、飲酒習慣、事故概要等に関する記載がある。

同調書には、「私の事故は、平成23年10月18日午後7時50分頃、須賀川市桙衝字古舘79番地1先道路上でした」と記載されている。

なお、この時点では、資料上、弁護士関与を示す資料は確認できない。

2011年(平成23年)10月20日付供述調書

司法警察員面前の供述調書である。

会派親睦会、飲酒経緯、飲酒量、運転代行、事故発覚等に関する記載がある。

同調書の冒頭には、「私は、平成23年10月18日午後7時50分ころ 須賀川市桙衝字古舘79番地1先路上 で、飲酒運転をして交通事故を起こしました。事故を起こした時間と場所は警察官から聞いて分かりました。」と記載されている。

事故発覚の状況については、「気がつくと今回の交通事故現場の車内運転席で寝ていた私に声をかける警察官の声に起こされました。」と記載されている。

運転代行業者を利用しなかった理由については、「今回、運転代行で帰らなかった理由は、分かりません。」と記載されている。※公開上の配慮から、代行業者を匿名化した。

事故時刻の認識については、「私が交通事故を起こした日時と場所は、今警察官から『平成23年10月18日午後7時50分ころ』『須賀川市桙衝字古舘79番地1先路上』と教えられ、分かりました。」と記載されている。

同調書の末尾には、「酒に酔いすぎて覚えていないところが多いのですが、自分で犯した罪は自分で償うべきであるし…今回の事は覚えていることを素直に話したいと思います。また、よく考えて思い出したことがあれば、当然素直に話したいと思います。」と記載されている。

なお、この時点でも、資料上、弁護士関与を示す資料は確認できない。

2011年(平成23年)10月22日付供述調書

司法警察員面前の供述調書である。

店を出た後の記憶、運転経路、事故現場に至る経緯、当初否認した理由等に関する記載がある。

店を出た後の記憶については、「私は、酒に酔いすぎて店を出たことを覚えていません。」と記載されている。

市内飲食店から市役所への移動及び運転開始については、「携帯電話の発信履歴を見ると普段通り運転代行に電話を午後7時過ぎにしていたので、飲食店からは、車を駐車していた須賀川市役所まで何処にも立ち寄らずに歩いて向かったと思うのです。そして、市役所から車を運転して出発したと思います。」と記載されている。※公開上の配慮から、代行業者を匿名化した。

事故現場に至る経緯については、「市役所から出発して交通事故を起こすまで覚えていないのですが、出発した市役所から交通事故現場の位置を考えると帰宅するために運転していたと思います。」と記載されている。

通常とは異なる経路については、「今回交通事故現場までの経路は…なぜか今回に限ってセブンイレブンの交差点を左折して交通事故現場に向かっています。セブンイレブンを左折して帰宅する経路は、運転代行がいつも私を送る際に使用する経路で、酒に酔っていた私は勘違いして直進する所を左折してしまったのだと思います。」と記載されている。※公開上の配慮から、代行業者を匿名化した。

また同調書には、「今、考えると市役所から交通事故現場までは、ある程度距離があるので、途中でよく人を轢いたり、他の車とぶつからずに運転できたなと思い、身がゾッとする思いです。おそらく、今まで交通違反や交通事故無く優良運転者として運転してきたので、今は覚えていませんが普段の安全運転に気をつけようとした行動がでたのではないかと思います。」と記載されている。

当初否認した理由については、「私は今まで事故や違反をしたことが無く、突然飲酒運転という社会的にも大変反響が大きい違反をしてしまったことから半分パニックになってしまい、初めは飲酒運転していないという話をしました」と記載されている。

2011年(平成23年)10月24日付実況見分調書

実況見分調書である。

市役所駐車場から事故現場までの経路、距離、見取図等に関する記載がある。

同調書には、市役所駐車場から事故現場までの距離が約11.5キロメートルである旨が記載されている。

2011年(平成23年)10月25日付供述調書(第1通)

司法警察員面前の供述調書である。

市内飲食店で飲酒した後の記憶欠落について、「飲食店で飲酒した後の事は、交通事故現場で起こされるまで覚えていません。」と記載されている。※公開上の配慮から、飲食店名を匿名化した。

運転開始については、「しかし、飲酒する前、私は須賀川市役所の駐車場に車を駐車しているので、市役所駐車場から車の運転を開始したのは間違いないと思います。」と記載されている。

運転経路については、「飲酒運転した経路について、酒に酔いすぎて覚えていないのですが、普段市役所から帰宅するまでの経路とほぼ同じ所を通って飲酒運転したと思います。その経路については、警察官を案内しています。」と記載されている。

同調書には、本職、すなわち司法警察員が、平成23年10月24日作成の実況見分調書添付の運転経路見取図を供述人に示した旨の記載がある。

走行距離の認識については、「①から②までの運転距離については、約11.5キロメートルであると警察から説明を受けて分かりました。」と記載されている。

この調書では、運転経路、走行距離、呼気検査結果、代行連絡履歴等が整理されているが、後記11月2日付検察官面前調書のように、事故時刻を「午後7時40分頃」とする整理はまだ現れていない。

呼気1リットル中0.71ミリグラムのアルコール検出については、「この数値は私の体内から呼気1リットルにつき0.71ミリグラムのアルコールが検出されたことを意味すると説明を受けて分かりました。」と記載されている。

代行連絡と運転開始の経緯については、「いつもは運転代行を頼んで帰宅しますし、私の携帯電話に運転代行に電話した発信履歴があった事から運転代行を頼んだと思いますが、運転代行を待つまでの間に車を運転しようという気持ちが出てしまったのだと思います。」と記載されている。

また、代行業者からの着信については、「私の携帯電話には、運転代行から電話がきていた着信履歴がありましたが、全く覚えていません。」と記載されている。※公開上の配慮から、代行業者を匿名化した。

2011年(平成23年)10月25日付供述調書(第2通)

司法警察員面前の供述調書である。

飲酒したハイボールの銘柄、グラス、飲酒量に関する訂正・補充が記載されている。

2011年(平成23年)11月2日付検察官面前調書

福島地方検察庁郡山支部において作成された検察官面前調書である。

冒頭において、「私は、平成23年10月18日の午後7時50分頃に…犯罪事実で取調べを受けていますが、そのとおり間違いないと思います。」と記載されている。

会合を出た後の記憶については、「その会合を出た状況もハリアーを運転した状況も思い出せず、その後に記憶があるのは現場に来ていた警察官と話をしているシーンからなのです。」と記載されている。

同調書には、「私は、逮捕された後、いろいろな捜査結果の内容を教えてもらいましたし、自分でも自分の携帯電話の発信履歴や着信履歴を見て確認しました。」と記載されている。

捜査結果として確認した事項として、午後7時09分の代行依頼の発信、午後7時14分の催促の発信、午後7時30分の代行業者からの着信、国道118号沿いの新幹線高架下手前の片側通行箇所での目撃情報等が記載されている。

事故時刻の整理については、「ただいま検察官から、私がその片側交互通行の所で目撃されたのが午後7時30分頃だと教えてもらいました。そうすると、私が午後7時14分に運転代行会社に催促の電話をかけ、しばらく待ったものの待ちきれずに自分で運転して帰る気持ちになり、午後7時20分過ぎころの時間に須賀川市役所駐車場から運転して出発し、10分程度でその片側交互通行の工事現場を通ると思われるので午後7時30分ころで矛盾はないと思われます。」と記載されている。

同調書には、「ガードレールに衝突する事故を起こしてしまった時刻は、午後7時40分頃だと思われます。」と記載されている。

事故時刻を「午後7時40分頃」とする整理が初めて現れるのは、この11月2日付検察官面前調書である。

また、判決書の「証拠の標目」には、被告人本人の供述として、被告人の当公判廷における供述、検察官に対する供述調書1通、司法警察員に対する供述調書4通等が掲げられている。

出典:各供述調書、実況見分調書、判決書

起訴と保釈

2011年(平成23年)11月9日、福島地方検察庁郡山支部は、被疑者を道路交通法違反(酒酔い運転)の罪で起訴した。

同日、被疑者は保釈された。

起訴は、後記の第1回辞職勧告決議が可決された後に行われている。

出典:起訴状、新聞報道

初公判

2011年(平成23年)12月26日、福島地方裁判所郡山支部において初公判が開かれた。

被告人は起訴事実を認め、同日、審理は結審した。

検察側は懲役1年を求刑し、判決公判は2012年(平成24年)1月16日に指定された。

出典:判決書、福島民報・福島民友2011年(平成23年)12月27日朝刊

判決

2012年(平成24年)1月16日、福島地方裁判所郡山支部は、被告人を懲役1年・執行猶予3年に処する判決を言い渡した

同年1月31日、控訴期間の満了により判決は確定した。
事件番号は平成23年(わ)第177号である。

判決において、罪となるべき事実は「平成23年10月18日午後7時40分頃」の酒酔い運転と認定されている。

判決書の「証拠の標目」には、被告人本人の当公判廷における供述、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、複数の関係者の司法警察員に対する各供述調書、会派親睦会に同席した市議らの検察官に対する各供述調書、捜査報告書、酒酔い鑑識カード及び実況見分調書等が掲げられている。

このうち、会派親睦会に同席した市議らは、後に第1回及び第2回辞職勧告決議にも関与した市議会議員であった。

判決理由において、裁判所は、被告人が現職の市議会議員であり、市民の代表として高い遵法精神が求められていたことを指摘した上で、「須賀川市民に与えた衝撃と失望は軽視できない」と述べた。

判決は、運転代行に関し、「被告人が正しく駐車場所を伝えなかった上、十分連絡を取り合うことなく早々に自ら運転を開始したことが認められる」と判示している。

出典:判決書

須賀川市議会による4度の辞職勧告決議

本件では、須賀川市議会において、圓谷年雄に対する辞職勧告決議が合計4回可決された。

各決議の提案者はいずれも当時の副議長であった。

第1回辞職勧告決議 2011年(平成23年)10月26日

2011年(平成23年)10月26日、須賀川市議会は、9月定例会最終本会議において、議員辞職勧告決議を全会一致で可決した

この決議は、逮捕から7日後、起訴より前の段階で行われた。
この時点で、被疑者は須賀川警察署に勾留中であり、本人欠席の状態であった。
判決確定日である2012年(平成24年)1月31日の97日前にあたる。

議会事務局によれば、辞職勧告決議には法的拘束力はない。
なお、当時の議長は、決議を通知するために須賀川署を訪れたが、被疑者が面会を拒否したため通知できなかった。

出典:須賀川市議会議事録、福島民報2011年(平成23年)10月27日朝刊

第2回辞職勧告決議 2011年(平成23年)12月1日

2011年(平成23年)12月1日、須賀川市議会は、12月定例会初日において、2度目の議員辞職勧告決議を全会一致で可決した

この決議は、起訴後ではあるが、初公判前かつ有罪判決前の段階で行われた。
判決確定日である2012年(平成24年)1月31日の約2か月前にあたる。
提案理由において、当時の副議長は、被告人が同年11月24日の議員全員協議会で「飲酒運転を認めた上で」と発言したと述べた。
さらに、「在職中に飲酒運転をしたことは言語道断であり、そうした人間がそのまま市議会議員を続けるべきではありません」と発言した。

出典:須賀川市議会議事録

第3回辞職勧告決議 2012年(平成24年)2月9日

2012年(平成24年)2月9日、須賀川市議会は、第1回臨時会において、第3回議員辞職勧告決議を全会一致で可決した

この決議は、判決言渡し後、判決確定後の段階で行われた。
第3回決議文には、次の記述がある。

「これまで本市議会は、圓谷年雄議員に対して、二度にわたり議員辞職勧告を決議したところである。その上、去る1月16日に有罪という裁判結果を受けてもなお、議員を辞職する考えがないとしている」

また、同決議文には、「我々は、何度でも訴え続ける」との記述もある。
提案理由において、当時の副議長は「実刑判決」との表現を用いた。
なお、本件判決は懲役1年・執行猶予3年であり、「実刑判決」とする表現は判決内容とは一致しない。

出典:須賀川市議会議事録

第4回辞職勧告決議 2012年(平成24年)3月1日

2012年(平成24年)3月1日、須賀川市議会は、3月定例会初日において、第4回議員辞職勧告決議を全会一致で可決した

提案理由において、当時の副議長は、被告人が3月議会に一般質問を通告したことについて、次のように発言した。

「自身の身勝手な言い分を正当化するかのように今議会に一般質問を通告するなど、その行為は偽善者そのものであり、断じて看過できるものではありません」

「偽善者」という表現は、市議会本会議の公式議事録に記録された議員発言である。

出典:須賀川市議会議事録

議会外組織の発足

議員辞職を求める文書の配布

須賀川市内では、「圓谷年雄氏に対して議員辞職を促す会」と題する文書が実際に配布された。

文書には、圓谷年雄が逮捕・起訴されたこと、須賀川市議会が2度にわたり辞職勧告決議を行ったこと、議員報酬及び期末手当の金額、議会への出欠状況などが記載されている。

末尾には、「発起人代表 菊地忠男」と記載されている。菊地忠男は、当時の民主党公認の須賀川市議会議員である。

この文書には作成日及び配布日の記載がない。ただし、平成23年12月定例会における出欠状況に言及していることから、同定例会の終了日である2011年12月19日以降に作成されたものとみられる。

出典:圓谷年雄氏に対して議員辞職を促す会

「円谷市議の議員辞職を求める会」発足 2012年(平成24年)2月23日

「円谷」という表記は団体名の原文による。本サイトにおける表記は「圓谷」で統一している。

2012年(平成24年)2月23日、被告人を除く須賀川市議会の全議員27人が参加する組織として、「円谷市議の議員辞職を求める会」が発足した。

福島民報2012年(平成24年)2月24日朝刊は、同会について「最終的に公職選挙法に基づく市民の解職請求(リコール)を後押しする」と報じている。

なお、地方議員の解職請求は地方自治法上の制度である。
地方自治法第84条は、無投票当選の場合を除き、議員の解職請求は、就職の日から1年間はすることができないとされている。

本件における被告人の就任は2011年(平成23年)9月であったため、2012年(平成24年)2月時点では、地方自治法上の解職請求を行うことはできない時期であった。

出典:福島民報2012年(平成24年)2月24日朝刊、地方自治法第84条

市長による施政方針演説における言及 2012年(平成24年)3月1日

2012年(平成24年)3月1日、第4回辞職勧告決議が可決された後、当時の市長は、同日の施政方針演説の最終部分において、本件に言及した。

市長は冒頭で、「現在の地方自治制度は、二元代表民主制をとっており、市長と市議会議員は別々の選挙で市民から選ばれているため、辞職の有無については、あくまで議員本人が判断すべきもの」と述べた。

その上で、4度の辞職勧告決議について、「須賀川市制始まって以来の異常な事態」「須賀川市の名誉と尊厳を著しく傷つける事態」「震災復興の大きな妨げ」などと述べた。

さらに市長は、「極めて異例ではありますが」と前置きした上で、「政治の責任を果たすとは、局面において課せられた責任をとってこそ、果たされる場面もある」と述べ、論語「民信無くば立たず」を引用した。

結語として、「議員である以上、議会の決議の重さを自覚されるとともに、選ばれし者の身の処し方について、現状のさまざまな影響の大きさを十二分に斟酌され、良識ある判断がなされることを期待しております」と述べた。

出典:市長施政方針演説、須賀川市議会議事録

辞職届提出と辞職許可

2012年(平成24年)3月5日 辞職届提出

2012年(平成24年)3月5日、被告人は議会事務局に「議員辞職届」を提出した。

本件は、同市議会において議員辞職届が提出された初めてのケースであった。

この辞職届は、第4回辞職勧告決議及び当時の市長による施政方針演説から4日後に提出されたものである。

福島民友2012年(平成24年)3月6日朝刊は、辞職決断の理由について、被告人が当時運営していたホームページで「橋本克也市長が市議会3月定例会の施政方針演説の中で、私が議員でいることが復興の妨げになると発言したこと」が要因であると表明していたことを報じている。

出典:福島民友2012年(平成24年)3月6日朝刊

2012年(平成24年)3月6日 辞職許可

2012年(平成24年)3月6日、須賀川市議会は、3月定例会本会議において、被告人の辞職を認める議案を可決した。

辞職時点で、本来の任期は2015年(平成27年)8月頃まで残っており、任期を約3年5か月残しての辞職であった。

辞職に伴う欠員については、同年夏に予定されていた須賀川市長選挙と同時に補欠選挙が実施された。

出典:須賀川市議会議事録、福島民報・福島民友2012年(平成24年)3月7日朝刊

当時の主要報道

本件は、福島民報及び福島民友の両紙において、2011年(平成23年)10月20日から2012年(平成24年)3月7日まで継続的に報道された。

2011年(平成23年)10月20日 福島民報

逮捕翌日の報道で、被疑者が容疑を否認していることが報じられた。

所属会派が、会派からの除名処分を決定したことも報じられた。

2011年(平成23年)10月21日 福島民報・福島民友

福島民報は、当時の議長が記者会見で「当初、『携帯電話に運転代行を呼んだ履歴があり、飲酒運転はしていない』と主張していたが、大筋で容疑を認め始めた」と発言したことを報じた。

両紙は、第1回辞職勧告決議案提出方針を報じた。

福島民友は、当時の議長が、被疑者が事故前、市内の飲食店で同じ会派の複数の議員を交えて酒を飲んでいたことも明かしたと報じた。

2011年(平成23年)10月22日 福島民報

警察発表に基づき、事故時刻が「午後7時50分ごろ」と報じられた。

2011年(平成23年)10月27日 福島民報・福島民友

第1回辞職勧告決議の可決が報じられた。

決議に法的拘束力がないことも報じられた。

2011年(平成23年)11月10日 福島民報・福島民友

起訴が報じられた。

福島民友の見出しには「酒気帯び運転で 須賀川市議起訴」とあるが、起訴罪名は道路交通法違反(酒酔い運転)である。また、本件で認定された呼気濃度は0.71mg/Lである。

起訴状本文では「酒気を帯びた状態で」との表記が用いられている。

事故時刻については、起訴状において「午後7時40分」と記載されている旨が報じられた。

2011年(平成23年)11月25日 福島民報・福島民友

前日に開催された議員全員協議会について、被告人が「現段階では議員辞職はしない」「議員活動の中で市民の信頼回復を図る」と述べたことが報じられた。

2011年(平成23年)11月30日 福島民報

第2回辞職勧告決議案の提出方針が報じられた。

2011年(平成23年)12月2日 福島民報・福島民友

第2回辞職勧告決議の可決が報じられた。

被告人のコメントとして「2度の決議は真摯に受け止める」「進退について、少し考えたい」と報じられた。

2011年(平成23年)12月27日 福島民報・福島民友

初公判での求刑が報じられた。

福島民友は、検察側冒頭陳述において「運転代行業者を呼んだものの待ちきれずに自分で運転し事故を起こした」と説明された旨を報じた。

2012年(平成24年)1月17日 福島民報・福島民友

前日の有罪判決が報じられた。

2012年(平成24年)2月10日 福島民報・福島民友

第3回辞職勧告決議の可決が報じられた。

2012年(平成24年)2月24日 福島民報

「円谷市議の議員辞職を求める会」の発足が報じられた。

2012年(平成24年)3月2日 福島民報・福島民友

第4回辞職勧告決議の可決と、市長による施政方針演説での言及が報じられた。

2012年(平成24年)3月6日 福島民友

被告人による辞職届提出が報じられた。

2012年(平成24年)3月7日 福島民報・福島民友

市議会が辞職を許可したことが報じられた。

小括

本第1部では、事故発生から逮捕、取調べ、供述調書等の作成、起訴、初公判、有罪判決、判決確定、4度の辞職勧告決議、議会外組織の発足、市長発言、議員辞職届提出、辞職許可までの確認できる事実を整理した。

本件では、起訴前・勾留中に第1回辞職勧告決議が行われ、初公判前・有罪判決前に第2回辞職勧告決議が行われている。

また、判決書の証拠標目には、会派親睦会に同席した市議らの検察官に対する供述調書が掲げられている。

これらの市議らは、会派親睦会の参加者であるとともに、第1回及び第2回辞職勧告決議にも関与した市議会議員であった。

これらの事実は、第2部の時系列整理第3部の供述形成過程及び合理的疑いの検討第4部の無罪推定原則侵害の検討における前提事実となる。

それでは、事件の記録と検証 第2部 時系列 ― 事故発生から判決確定・議員辞職へお進みください。

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