なぜ、この活動を続けるのか
本サイト「hikari99.jp」は、憲法に基づく人権と、制度の正義を守るために立ち上げた、記録と検証の場です。
本サイトが特に重視しているのは、日本国憲法第99条です。
憲法第99条は、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員に対し、憲法を尊重し擁護する義務を課しています。
地方議会議員や地方公務員を含め、権力を行使する側は、憲法によって拘束されます。
ここで重要となるのが、法の支配です。
法の支配とは、専断的な国家権力による支配、すなわち「人の支配」を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利と自由を擁護するための原理です。
それは、単に権力を行使する側にも法に従うことを求めるというだけの意味ではありません。
憲法の最高法規性、侵すことのできない個人の人権、法の内容及び手続の公正、そして司法による権力統制を通じて、専断的な権力行使を防ぐことに、その核心があります。
法の支配とは、国や地方公共団体、その議会、行政機関、裁判所を含む公権力を憲法と法によって拘束し、市民の権利と自由を守るための原理です。
本サイトでは、この憲法尊重擁護義務と法の支配が、現実の制度運用の中でどのように空洞化され得るのかを、私自身が経験した具体的事例と、公的記録・証拠資料に基づいて検証しています。
その事例とは、福島県須賀川市で実際に発生した一連の出来事です。
私は、2011年9月4日の須賀川市議会議員選挙で当選しました。
しかし、初当選から間もない時期に、飲酒運転容疑で逮捕されました。
私自身には飲酒運転をした認識はなく、当初、容疑を否認していました。
それにもかかわらず、刑事裁判の結論が確定する前から、須賀川市議会は、私に対する辞職勧告決議を繰り返し可決しました。
特に重大なのは、第1回辞職勧告決議が起訴前・勾留中に行われ、第2回辞職勧告決議が初公判前・有罪判決前に行われたことです。
本件刑事裁判では、2012年(平成24年)1月16日に懲役1年・執行猶予3年の有罪判決が言い渡され、同月31日に確定しました。
しかし、本件で問われるべきなのは、単に一つの刑事事件の有罪・無罪だけではありません。
有罪判決が確定する前に、公的機関である地方議会が、有罪を前提とする政治的評価を行い、それが報道を通じて社会的非難として広がり、その後の裁判、行政対応、議会対応にまで影響を与えた可能性があることです。
これは、単なる個人の冤罪の訴えにとどまるものではありません。
無罪推定、公正な裁判、適正手続、民主的代表制、憲法尊重擁護義務という、国家権力のあり方そのものを問い直す問題です。
事件の詳細な経過と法的検証については、「事件の記録と検証」に整理しています。
本件で問われる憲法上の問題
本件には、少なくとも次の問題が含まれています。
第一に、憲法第31条の適正手続との関係です。
十分な防御・弁明の機会が実質的に保障されていたのか、刑事裁判の結論が確定する前に、議会による制裁的な辞職勧告決議がなされたことをどう評価するのかが問われます。
第二に、憲法第13条の個人の尊重・人格権との関係です。
裁判前から、社会的名誉が大きく損なわれ、精神的圧力が加えられたことが問題となります。
第三に、憲法第37条の公正な裁判との関係です。
刑事裁判が行われる前から、議会決議、報道、社会的非難が形成され、それが裁判手続に外部的圧力を与えた疑いがあります。
第四に、憲法第99条の憲法尊重擁護義務との関係です。
憲法を尊重し擁護すべき立場にある公的機関が、むしろ憲法上の権利保障を軽視する側に回ったのではないかが問われます。
第五に、市民的及び政治的権利に関する国際規約、すなわち自由権規約(ICCPR)第14条第1項及び第2項との関係です。
ICCPR第14条第1項は公正な裁判を保障し、同条第2項は、刑事上の罪に問われている者は、法律に基づいて有罪とされるまでは無罪と推定される権利を有すると定めています。
本件では、刑事裁判の結論が確定する前に、地方議会が有罪を前提とする辞職勧告決議を可決しました。
この点は、無罪推定原則との関係で重大な問題を含みます。
さらに、本件判決書の証拠の標目には、辞職勧告決議に賛成した市議会議員2名の供述調書が掲げられています。
この点は、供述内容そのものを評価する前提として重要です。
無罪推定が及ぶべき段階で、有罪前提の辞職勧告決議に関与した者の供述が、刑事裁判の証拠構造に含まれていたという客観的事実は、公正な裁判との関係で重大な疑義を生じさせます。
この構造的問題の詳細は、「事件の記録と検証 第4部」で検証しています。
制度に見捨てられた者として、なぜ私が動くのか
私は、これまで十数年にわたり、本件の違憲性・違法性を明らかにするため、ほぼ一人で歩み続けてきました。
救済を求め、複数の弁護士に相談し、日本弁護士連合会にも人権救済及び再審支援を申し立てました。
しかし、支援を受けるには至りませんでした。
その過程で、私は強く思いました。
この国では、制度に背を向けられた者が、自ら法を学ばなければ、憲法も権利も機能しないのか。
だからこそ私は、証拠を一つひとつ整理し、事実関係を洗い直し、憲法、国際人権法、刑事訴訟法、行政法、地方自治法などを学びながら、自分の事件を法的に分析し続けてきました。
その結果、本件は単なる過去の不祥事報道ではなく、制度全体の問題であると確信するに至りました。
仮に、刑事責任が確定していない段階で、議会が「政治的意思表示」の名のもとに辞職勧告決議を可決し、それを報道が大きく伝え、社会的に断罪することが許されるなら、どれほど民意に基づいて選ばれた者であっても、司法判断を待たずに排除される社会ができあがってしまいます。
本件は、その危険が現実化したものとして検証されるべき事案です。
事件に巻き込まれた現実と、司法へのアクセスの困難さ
多くの人は、自分が刑事事件や重大な法的紛争の当事者になることなど、人生で一度も想像したことがないかもしれません。
しかし、現実には、そうした非日常はある日突然、誰にでも降りかかります。
私もそうでした。
飲酒運転などしていないと確信していた私は、弁護士の助言も受けず、一人で警察署に出向きました。
説明すれば理解されるだろうと信じていたからです。
しかし、須賀川警察署で私は逮捕され、そこから制度の現実を知ることになりました。
逮捕直後、最も脆弱で、最も助けが必要な瞬間に、私は十分な法的助言を受け、自分の防御方針を整理することが極めて困難な状況に置かれました。
情報も支援も限られ、何が起きているのかさえ正確に把握することは容易ではありません。
一方で、警察・検察は、24時間365日、刑事事件を専門に扱う機関です。
これに対し、突然事件に巻き込まれた市民は、制度の中に放り込まれる素人です。
この非対称性は、刑事司法の現実を考える上で避けて通れません。
突然刑事手続に置かれた市民にとって、弁護士に接する機会があったとしても、制度の全体像を理解し、直ちに十分な防御方針を立てることは容易ではありません。
だからこそ、制度の中で十分に取り上げられないのであれば、当事者自身が記録し、学び、問い続けざるを得ないと考えるに至りました。
「今さら」ではなく「今こそ」
私の活動に対して、「なぜ今さら」と問う人がいます。
私は、こう答えます。
憲法に反する状態は、長い年月が経過したというだけで正当化されるものではありません。
是正されない限り、その問題は過去のものにはならず、現在も続いている問題です。
権力が過ちを犯し、それが検証も是正もされないまま制度の中に埋もれているのであれば、その構造は将来も残ります。
そして、未来の誰かに、同じような被害をもたらす可能性があります。
本件では、現在もなお、合理的な説明が示されていない重要な疑問があります。
たとえば、事故時刻です。
逮捕容疑及び警察段階の資料では、事故時刻は午後7時50分頃として扱われていました。
その後、本人は、警察官とともに事件現場に立ち会い、事故現場や経路を確認する「実況見分(2011年(平成23年)10月24日)」にも参加しました。
それでも、実況見分調書に記載された事故時刻は、午後7時50分頃のままでした。
つまり、警察段階では、取調べだけでなく、現場での確認を経た後も、事故時刻は午後7時50分頃として扱われていたのです。
ところが、検察官面前調書(2011年(平成23年)11月2日)において、本人の供述は午後7時40分頃へ突然変更され、その変更後の時刻が起訴状及び有罪判決に採用されました。
事故時刻が重要でないのであれば、午後7時50分頃のまま起訴すればよかったはずです。
それをあえて午後7時40分頃へ変更する必要があったのであれば、その理由と、変更後の時刻を裏付ける客観的根拠は何だったのでしょうか。
この10分間の変更は、単なる数字の違いではありません。
事故時刻は、代行業者との連絡履歴、事故現場までの走行時間、目撃供述との整合性、供述変更の信用性、そして合理的疑いを超える証明があったのかを判断する基準となる重要な事実です。
また、本件に残されている疑問は、事故時刻の変更だけではありません。
本件では、供述の変遷、代行業者との連絡履歴、事故現場までの走行時間、目撃供述の信用性、呼気アルコール濃度と運転可能性との関係、判決前に行われた辞職勧告決議、さらに、その決議に賛成した市議会議員の供述調書が検察側証拠として採用された経緯など、複数の重要な疑問が残されています。
これらは、いずれも単独で切り離して見るべき問題ではありません。
複数の疑問がどのようにつながり、どのような構造を形成しているのかについては、
事件の記録と検証 第3部 残された合理的疑いをご覧ください。
問題がないというのであれば、これらの疑問には、それぞれ合理的な説明が示されるはずです。
しかし、説明も検証もされないまま、有罪判決が当然の前提として維持され続けるのであれば、声を上げる必要があります。
また、本件では、判決前に須賀川市議会による辞職勧告決議が行われました。
第1回決議は、起訴前・勾留中に行われました。
第2回決議も、有罪判決が確定する前に行われました。
さらに、辞職勧告決議に賛成した市議会議員2名の供述調書が、検察側証拠として提出され、刑事裁判において採用されています。
つまり、本件では、議会による判決前の公的評価が単なる外部の出来事にとどまらず、その決議に関与した人物の供述が、刑事裁判の証拠構造にも取り込まれていました。
これらについて、問題がないというのであれば、その理由は説明できるはずです。
なぜ事故時刻が変更されたのか。
変更後の時刻を裏付ける客観的根拠は何か。
なぜ判決前に公的機関が辞職勧告決議を行うことが許されるのか。
なぜその決議に賛成した人物の供述調書が、検察側証拠として採用されたのか。
それでもなお、公正な刑事手続が保障されていたといえるのか。
本件で求めているのは、感情的な断罪ではありません。
事実に基づく検証と、法的根拠に基づく説明です。
説明できるのであれば、説明すればよいのです。
問題がないのであれば、問題がないといえる法的根拠を示せばよいのです。
しかし、合理的な説明が示されず、検証も是正もされないのであれば、声を上げる必要があります。
権利は、誰かが自動的に守ってくれるものではありません。
侵害が見過ごされ、放置されるなら、それを記録し、検証し、是正を求めなければなりません。
だから私は、今さら声を上げているのではありません。
今もなお正されていない問題があるからこそ、今、声を上げているのです。
このサイトが目指すこと
本サイトは、次の目的を掲げています。
記録する。
事件の経過、議会の動き、判決書、議会議事録、新聞報道、公文書、提出書面等を整理し、検証できる状態にすること。
立証する。
憲法、国際人権法、法律に基づき、無罪推定、公正な裁判、適正手続、民主的代表制、憲法尊重擁護義務との関係を明らかにすること。
伝える。
本件を、今後、国内外の報道関係者、国際人権関係者、研究者、市民にも伝え、一次資料に基づく検証を可能にすること。
照らす。
同じように制度の前で声を失いかけている人々に対し、法を知り、記録し、声を上げるための手がかりを示すこと。制度に憲法を守らせるには、市民がその監視をしなければなりません。
本サイトは、そのための記録であり、検証であり、発信です。
憲法第99条を「光」とする理由
日本国憲法第99条は、一般市民に対してではなく、国家権力を担う者に対して課された、憲法を尊重し擁護する義務です。
つまり、本来、憲法を守る主体は、権力を行使する側です。
裁判官、国会議員、地方議会議員、国家公務員、地方公務員は、憲法を尊重し、擁護する義務を負っています。
「守られる側の憲法」から、「守らせるための憲法」へ。
「人権を奪われた市民の声」から、「義務を果たさぬ権力への是正要求」へ。
「個人の被害」から、「国家と自治体の制度責任」への問い直しへ。
本サイト名「hikari99.jp」は、まさにこの憲法第99条から光が射すという理念を示しています。
人権の光を曇らせたのが権力であるなら、その義務違反を正すことこそが、社会の再生につながると考えています。
終わりに
本サイトの趣旨に照らして多くを語ることはしません。
しかし、私のこれまでの歩みは、決して平坦なものではありませんでした。
それでも、諦めることはできません。
日本国憲法は、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」として保障しています(憲法11条、同97条)。
しかし、その権利は、制度が自然に守ってくれるものではありません。
憲法第12条は、次のように定めています。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」
これは、権力を免責するという意味ではありません。
むしろ、権力を憲法に従わせるために、市民が不断に記録し、検証し、必要な是正を求め、声を上げることの重要性を示すものです。
本サイトは、その一つの試みです。
ここに刻まれた記録と問いかけを、ぜひご自身の目で確かめてください。
そして、無罪推定、公正な裁判、適正手続、法の支配、民主主義、憲法尊重擁護義務が、本当にこの国で守られているのかを、ともに考えていただければ幸いです。
2025年(令和7年)6月3日
hikari99.jp 責任者
圓谷年雄(つむらや としお)
それでは、事件の記録と検証へお進みください。
