2026年7月19日 更新
第2部 時系列 ― 事故発生から判決確定・議員辞職まで
はじめに
本第2部では、2011年(平成23年)10月18日の事故発生から、逮捕、取調べ、辞職勧告決議、起訴、公判、有罪判決、判決確定、辞職届提出、辞職許可に至るまでの経過を時系列で整理する。
ここでは、できる限り評価を加えず、確認できる事実の前後関係を示す。
特に重要なのは、刑事手続と市議会の動きが、どのような順序で進行したのかである。
本件では、判決確定前に須賀川市議会による辞職勧告決議が複数回行われ、その間に取調べ、供述調書の作成、起訴、公判、有罪判決が進行している。
本件の全体像を把握するためには、個々の出来事を時間の流れに沿って確認する必要がある。
特に重要なのは、事故時刻に関する供述が変化した時期と、市議会関係者の供述調書が刑事判決の証拠標目に含まれていることである。
以下、本件の経過を時系列で整理する。
この時系列は、第3部 残された合理的疑い及び第4部 無罪推定原則の侵害を理解するための前提となる。
2011年(平成23年)10月18日 事故発生
2011年(平成23年)10月18日夜、須賀川市内で本件事故が発生したとされた。
後の刑事手続では、この事故について、酒酔い運転によりガードレールに衝突したものとされた。
事故時刻については、当初の供述調書及び報道では午後7時50分頃とされていたが、後の検察官面前供述調書、起訴状及び判決書では午後7時40分頃とされている。
この事故時刻の変化は、後に第3部で検証する重要な点である。
2011年(平成23年)10月19日 逮捕と初回取調べ
2011年(平成23年)10月19日、圓谷年雄は須賀川警察署への任意出頭を求められ、一人で警察署に出向いた。
その後、同日午後1時9分、道路交通法違反の容疑で逮捕状による通常逮捕が行われ、身柄を拘束された状態で取調べを受けた。
同日、司法警察員面前の供述調書が作成された。
この初回調書には、出生、養子関係、学歴、職歴、市議会議員となった経緯、財産、家族関係、飲酒習慣等の身上事項が記載されている。
事故については、2011年(平成23年)10月18日午後7時50分頃に発生したとの記載がある。
この調書は逮捕後に作成されたものである。
また、この時点では、弁護士の関与を示す資料は確認できない。
2011年(平成23年)10月20日 供述調書作成と報道
2011年(平成23年)10月20日、司法警察員面前の供述調書が作成された。
同調書には、会派親睦会、飲酒経緯、飲酒量、運転代行業者への依頼、事故に気付いた状況等に関する記載がある。※公開上の配慮から、飲食店及び運転代行業者の名称を匿名化した。
同調書の冒頭には、2011年(平成23年)10月18日午後7時50分頃、飲酒運転をして交通事故を起こした旨が記載されている。
一方、その直後には、事故を起こした時間及び場所について、警察官から聞いて分かった旨が記載されている。
また、本人は、飲食店で飲酒した後から事故現場で警察官に起こされるまでの記憶を欠いており、事故現場の車内運転席で寝ていたところを警察官に起こされ、そこで事故に気付いた旨を供述している。
運転代行業者を利用しなかった理由についても、分からないと記載されている。
したがって、この段階で記載された午後7時50分頃という事故時刻及び事故場所は、本人が自らの体験記憶によって特定したものではなく、警察官から示された情報であった。
同日付の新聞報道では、本人が、飲酒したこと及び事故を起こしたことは認めているが、飲酒運転については否認している旨が報じられた。
また、所属会派からの除名処分及び市議会側の対応についても報じられた。
この時点でも、弁護士の関与を示す資料は確認できない。
2011年(平成23年)10月21日 検察官送致と弁護士関与の具体化
2011年(平成23年)10月21日、圓谷年雄は、須賀川警察署から福島地方検察庁郡山支部の検察官へ送致された。
検察官送致は、逮捕された被疑者の身柄及び事件を警察から検察官へ引き継ぐ刑事手続上の段階であり、この時点で起訴事実又は有罪認定に必要な証拠が確定したことを意味するものではない。
実際、本件では、検察官送致後にも、運転経路、走行距離、運転意思及び事故時刻に関する供述調書及び実況見分調書が作成されている。
同日付の弁護士事務所作成の計算書には、本人の父から実費預り金2万円を受領した旨の記載がある。
この記載は、少なくとも同日以降、弁護士の関与が具体化していたことを示している。
一方、10月19日及び同月20日の供述調書作成時点については、弁護士の関与を示す資料は確認できない。
また、同日付の新聞報道では、市議会議長が記者会見において、本人が「大筋で容疑を認め始めた」とする趣旨の説明を行ったと報じられた。
この時点では、まだ起訴も判決も行われていない。
2011年(平成23年)10月22日 推測を含む供述調書の作成
2011年(平成23年)10月22日、司法警察員面前の供述調書が作成された。
同調書において、本人は、酒に酔いすぎて飲食店を出たことを覚えていないと供述している。
その一方で、携帯電話の発信履歴に、普段利用していた運転代行業者へ午後7時過ぎに電話した記録があったことから、飲食店を出た後、市役所駐車場まで歩いて向かい、市役所に駐車していた車両を自ら運転して出発したのだと思う旨が記載されている。
市役所を出発してから事故現場に至るまでの行動についても、本人は記憶していない。
しかし、市役所と事故現場の位置関係から、帰宅するために運転していたと思う旨が記載されている。
また、通常の帰宅経路とは異なる方向へ進んだ理由について、普段利用していた運転代行業者が使用する経路と混同し、直進する場所を誤って左折したのだと思う旨が記載されている。
したがって、この調書に記載された運転開始、運転目的及び走行経路に関する説明は、本人が実際の行動を思い出して述べたものではない。
携帯電話の発信履歴、車両の駐車場所、本人の生活習慣、通常の帰宅経路及び事故現場の位置関係を前提として、記憶のない行動を本人が推測した供述である。
同調書には、当初飲酒運転を否認した理由について、突然の逮捕により半分パニックになっていた旨も記載されている。
2011年(平成23年)10月24日 実況見分調書の作成
2011年(平成23年)10月24日、圓谷年雄の立会いにより、須賀川市役所駐車場から事故現場までの実況見分が行われた。
実況見分は、午後1時40分から午後2時5分まで行われた。
実況見分調書によれば、運転を開始した場所について尋ねられた圓谷年雄は、酔っていて覚えていないと説明した。
その後、市役所駐車場に車両を駐車していたと説明したことから、同駐車場が、車両を駐車した地点及び出発地点として設定された。
事故現場までの実際の走行経路についても、圓谷年雄は覚えていないと説明している。
その状態で、市役所駐車場から事故現場まで、現時点で通るとする道路について説明を求められ、その経路が実況見分調書及び運転経路見取図として記録された。
市役所駐車場から事故現場までの距離は、約11.5キロメートルと測定された。
したがって、この実況見分によって記録された経路は、圓谷年雄が事故当日の実際の走行を体験記憶に基づいて再現したものではない。
圓谷年雄が実際の走行経路を記憶していない状態で、市役所駐車場を出発地点、事故現場を到着地点として、その間を結ぶ道路が記録されたものである。
実況見分後も、実況見分調書に記載された事故時刻は午後7時50分頃のままであった。
2011年(平成23年)10月24日 第1回辞職勧告決議前の議会運営委員会
実況見分が終了した約35分後の午後2時40分から、須賀川市議会議会運営委員会が開かれた。
会議は、午後3時23分に閉会した。
議会運営委員会では、圓谷年雄議員に対する第1回辞職勧告決議案の文案及び本会議における処理手順が協議された。
当初の文案に含まれていた地元新聞に関する記述は削除された。
一方、圓谷年雄が道路交通法違反の疑いで逮捕されたことを前提として、政治的・道義的責任、市民感情、議会の権威保持及び名誉回復を理由に辞職を求める構成は維持された。
また、本会議では、提案理由の説明後、質疑、委員会付託及び討論を省略し、決議案を表決する手順が、あらかじめ整理された。
実況見分と議会運営委員会が同日に行われたことだけから、捜査機関と市議会が連絡又は連動していたと断定することはできない。
しかし、捜査側で、圓谷年雄が実際の走行経路を記憶していない状態のまま、経路及び距離に関する資料が形成された同日に、議会側では、逮捕を前提として辞職を求める決議文案及び採決手順が具体化されていたという時間的関係が確認できる。
2011年(平成23年)10月25日 供述調書2通の作成
2011年(平成23年)10月25日、司法警察員面前の供述調書が2通作成された。
第1通の供述調書では、前日に作成された実況見分調書添付の運転経路見取図が本人に示されている。
同調書には、示された運転経路見取図が、実況見分の際に本人が警察官を案内したとおりに作成されている旨が記載されている。
一方、本人は、飲酒後、市役所駐車場から運転を開始したことについて「間違いないと思います」と述べ、実際の走行経路については、普段市役所から帰宅する際の経路とほぼ同じ場所を通って飲酒運転をしたと思う旨を供述している。
また、市役所駐車場から事故現場までの距離について、約11.5キロメートルであると警察官から説明を受けて分かった旨が記載されている。
したがって、この調書では、本人が実際の走行経路を思い出したのではなく、前日に作成された経路図及び警察官から示された距離を前提として、経路に関する供述が記録されている。
事故時刻については、この段階でも午後7時50分頃と記載されている。
また、酒酔い鑑識カードに基づき、呼気1リットル中0.71ミリグラムのアルコールが検出されたことが記載されている。
第2通の供述調書には、飲食店で飲んだハイボールの銘柄及びグラスに関する訂正並びに飲酒量に関する補充が記載されている。
本人が記憶している飲酒量については、4、5杯までであることに変わりはないとされている。
2011年(平成23年)10月26日 第1回辞職勧告決議
2011年(平成23年)10月26日、須賀川市議会は、圓谷年雄に対する第1回辞職勧告決議を全会一致で可決した。
この時点で、圓谷年雄はまだ起訴されていなかった。
刑事裁判も始まっておらず、圓谷年雄は起訴前の勾留中であった。
圓谷年雄は、自らの意思で本会議を欠席したのではない。
起訴前の勾留により、本会議へ出席できない状態に置かれていた。
議事録上、須賀川市議会が、勾留中の圓谷年雄から事前に事情を聴いたこと、弁明の機会を与えたこと又は反論の機会を確保したことを示す記載はない。
その状態のまま、10月24日の議会運営委員会で整理された手順に従い、提案理由の説明後、質疑、委員会付託及び討論が省略され、決議案が表決された。
本会議は午前10時に開議され、午前10時4分に休憩に入っている。
したがって、第1回辞職勧告決議に関する議事は、圓谷年雄が起訴前の勾留により出席できず、弁明及び反論の機会も確認できない状況の下で、開議から休憩までの4分間に行われたことになる。
また、この時点では、後に起訴状及び判決書に記載された午後7時40分頃という事故時刻は、まだ圓谷年雄の供述調書に現れていなかった。
第1回辞職勧告決議は、捜査及び取調べが終了し、公訴事実が確定した後に行われたものではない。
圓谷年雄の身柄拘束が続き、記憶のない行動に関する推測供述及び捜査資料が形成され、事件像がなお具体化されている途中の段階で行われたものである。
2011年(平成23年)10月下旬 勾留の延長
2011年(平成23年)10月下旬、圓谷年雄について勾留期間の延長が認められ、起訴前の身柄拘束及び取調べが継続した。
この時点では、既に10月26日の第1回辞職勧告決議が可決されていた。
したがって、起訴前の身柄拘束及び取調べが継続する一方で、地方議会が刑事責任の確定前に本人の辞職を求める公的意思表示を行った状態が生じていた。
もっとも、現在確認できる資料のみから、辞職勧告決議が勾留延長又は個々の取調べに直接影響したと断定することはできない。
ここで確認できるのは、第1回辞職勧告決議後も身柄拘束及び取調べが継続したという時間的な前後関係である。
2011年(平成23年)11月2日 検察官面前調書の作成と事故時刻の変更
2011年(平成23年)11月2日、福島地方検察庁郡山支部において、検察官面前供述調書が作成された。
同調書には、本人が逮捕後に捜査結果の内容を教えられ、自らも携帯電話の発信履歴及び着信履歴を確認した旨が記載されている。
本人が示された捜査結果として、午後7時9分に運転代行業者へ依頼の電話をしたこと、午後7時14分に催促の電話をしたこと、午後7時30分に運転代行業者から着信があったことが記載されている。
また、国道118号の道路工事による片側交互通行地点で、午後7時30分頃、本人の車両が西方向へ走行しているところを見た者がいるとの説明を受けた旨が記載されている。
さらに、市役所駐車場から同地点までの所要時間を約10分、同地点から事故現場までの所要時間を約10分と見積もり、本人が午後7時20分過ぎ頃に市役所駐車場を出発し、午後7時40分頃に事故現場へ到達したとする説明が記録されている。
したがって、午後7時40分頃という時刻は、本人が事故時刻を思い出したことによって判明したものではない。
逮捕後に収集又は整理された携帯電話の発着信履歴、運転代行業者に関する情報、第三者の走行目撃情報及び各地点間の推定所要時間を組み合わせ、逆算によって具体化された時刻である。
また、同調書には、本人が運転代行を待ちきれず、自ら運転して帰ろうと考えた旨が記載されている。
しかし、実際に運転を開始した場面に関する記憶が回復したとは記載されていない。
この検察官面前供述調書において、事故時刻は、それまでの午後7時50分頃から午後7時40分頃へ変更された。
変更後の午後7時40分頃という時刻は、2011年(平成23年)11月9日の起訴状及び2012年(平成24年)1月16日の判決書に引き継がれた。
2011年(平成23年)11月9日 起訴と保釈
2011年(平成23年)11月9日、圓谷年雄は道路交通法違反の罪で起訴された。
同日、保釈された。
起訴は、第1回辞職勧告決議が既に可決された後に行われている。
つまり、起訴前の段階で市議会が辞職勧告決議を行い、その後、起訴へ進んだという時系列である。
2011年(平成23年)11月24日 議員全員協議会
2011年(平成23年)11月24日、須賀川市議会において議員全員協議会が開かれた。
この時点で、圓谷年雄は起訴後であったが、第1回公判はまだ開かれていなかった。
この場で、圓谷年雄は、議会側から説明を求められた。
この議員全員協議会は、通常の公開議会とは異なる場であり、圓谷年雄が、弁護士の同席がない状態で、多数の議員の前に出席して説明を求められたものであった。
後の第2回辞職勧告決議の提案理由では、圓谷年雄が、この議員全員協議会において飲酒運転を認めたと説明されている。
一方、圓谷年雄は、議員活動を通じて信頼回復に努めること、後援会から議員を継続するよう要請されていること及び刑事裁判の結果を待って進退を判断することを理由として、議員を続けるとの意思を示した。
圓谷年雄は、刑事裁判による判断を待った上で進退を決めるという意思を明確に示していた。
2011年(平成23年)11月28日 第2回辞職勧告決議前の議会運営委員会
2011年(平成23年)11月28日、須賀川市議会議会運営委員会が開かれた。
議会運営委員会では、同月24日の議員全員協議会における圓谷年雄の言動について、第1回辞職勧告決議に応じる姿勢を感じることができなかったとの評価が示された。
また、圓谷年雄が自ら飲酒運転を認めている発言があり、このまま議員を続けることは断じて許されないことを本人に理解させるためにも、再度決議すべきであるとの趣旨が示された。
しかし、この時点で第1回公判はまだ開かれておらず、有罪判決も存在していなかった。
議会運営委員会では、12月1日の本会議において、圓谷年雄を除斥した後、提出者による提案理由の説明を行い、質疑及び討論を省略して採決することが整理された。
さらに、可決された場合には、本会議を休憩し、議長室において圓谷年雄に決議された旨を告知した後、本会議を再開する手順も整理された。
したがって、第2回辞職勧告決議は、12月1日の本会議で突然提案されたものではない。
11月24日の本人説明を受けた後、11月28日の議会運営委員会において、再度辞職を求める理由と、本会議における処理手順があらかじめ具体化されていたものである。
2011年(平成23年)12月1日 第2回辞職勧告決議
2011年(平成23年)12月1日、須賀川市議会は、圓谷年雄に対する第2回辞職勧告決議を可決した。
この決議は、圓谷年雄が刑事裁判の結果を待って進退を判断するとの意思を示した7日後に行われた。
また、再度辞職を求める理由と採決手順が議会運営委員会で整理された3日後に行われた。
この時点で、圓谷年雄は起訴後であった。
しかし、第1回公判はまだ開かれておらず、有罪判決も存在していなかった。
圓谷年雄は本会議に出席していたが、地方自治法第117条を理由として退場を求められた。
圓谷年雄が退場した後、提案理由の説明が行われた。
提案理由では、圓谷年雄が、議員活動を通じて信頼回復に努めること、後援会から議員を継続するよう要請されていること及び裁判結果を待って進退を判断することを理由として、議員を続けるとしていることが説明された。
その上で、これらの対応について、「社会正義に反する」との評価が示された。
さらに、第1回公判が開かれておらず、有罪判決も存在しない段階で、圓谷年雄が「在職中に飲酒運転をしたこと」が確定した事実として扱われた。
質疑、委員会付託及び討論は省略された。
出席議員全員の起立により、決議は可決された。
したがって、第2回辞職勧告決議は、11月24日の本人説明を受け、11月28日の議会運営委員会で再決議の理由と処理手順が事前に整理された上で、第1回公判前かつ有罪判決前に行われたものである。
この点は、第4部で扱う無罪推定原則の侵害に関わる重要な事実である。
2011年(平成23年)12月26日 初公判
2011年(平成23年)12月26日、福島地方裁判所郡山支部において第1回公判が開かれた。
この時点で、圓谷年雄は、既に第1回及び第2回辞職勧告決議を受けていた。
第1回辞職勧告決議は起訴前に、第2回辞職勧告決議は第1回公判前に行われていた。
その後の判決書の「証拠の標目」には、圓谷年雄の公判供述及び捜査段階の供述調書のほか、司法警察員に対する第三者3名の各供述調書並びに検察官に対する第三者2名の各供述調書が掲げられている。
この第三者5名に対する証人尋問及び圓谷年雄側による反対尋問は行われていない。
このうち、検察官に対する供述調書を作成された第三者2名は、当時の須賀川市議会議員であり、第1回及び第2回辞職勧告決議に賛成した者である。
したがって、刑事責任確定前に辞職を求める決議に賛成した市議会議員2名の供述調書を含む第三者5名の供述調書が、供述者本人に対する証人尋問及び反対尋問を経ないまま、刑事裁判の証拠構造に組み込まれたことになる。
この点は、第3部及び第4部で扱う証拠評価、刑事裁判の公正性、適正手続並びに証人審問権との関係で重要な事実である。
2012年(平成24年)1月16日 有罪判決
2012年(平成24年)1月16日、福島地方裁判所郡山支部において、有罪判決が言い渡された。
判決では、事故時刻について、2011年(平成23年)10月18日午後7時40分頃と認定された。
この午後7時40分頃という時刻は、圓谷年雄が事故時刻を思い出したことによって判明したものではない。
2011年(平成23年)11月2日付検察官面前供述調書において、携帯電話の発着信履歴、第三者による走行目撃情報及び各地点間の推定所要時間を組み合わせ、逆算によって具体化された時刻である。
また、判決書の「証拠の標目」には、圓谷年雄の公判供述及び捜査段階の供述調書のほか、司法警察員に対する第三者3名の各供述調書並びに検察官に対する第三者2名の各供述調書が掲げられている。
第三者5名に対する証人尋問及び圓谷年雄側による反対尋問は行われていない。
このうち、検察官に対する供述調書を作成された第三者2名は、当時の須賀川市議会議員であり、第1回及び第2回辞職勧告決議に賛成した者である。
したがって、刑事責任が確定する前に辞職を求める決議に賛成した市議会議員2名の供述調書を含む第三者5名の供述調書が、供述者本人に対する証人尋問及び反対尋問を経ないまま、有罪判決の証拠構造に組み込まれていたことになる。
この点は、第3部及び第4部で扱う証拠評価、無罪推定、刑事裁判の公正性、適正手続並びに証人審問権との関係で重要な意味を持つ。
2012年(平成24年)1月31日 判決確定
2012年(平成24年)1月31日、有罪判決が確定した。
判決確定後であっても、判決前に第1回及び第2回辞職勧告決議が行われていたという時系列上の事実は残る。
この点は、第4部で無罪推定原則との関係から検証する。
2012年(平成24年)2月9日 第3回辞職勧告決議
2012年(平成24年)2月9日、須賀川市議会は、第3回辞職勧告決議を可決した。
この時点では、既に有罪判決は確定していた。
しかし、第3回決議は、第1回及び第2回決議から続く辞職要求の流れの中で行われたものである。
そのため、第3回決議は、判決前の無罪推定侵害そのものとは区別しつつ、反復された辞職要求と制度的外圧の流れを確認するうえで重要である。
2012年(平成24年)3月1日 第4回辞職勧告決議
2012年(平成24年)3月1日、須賀川市議会は、第4回辞職勧告決議を可決した。
これにより、辞職勧告決議は合計4回に及んだ。
この反復性は、本件における辞職要求が一時的な政治的意見表明にとどまらず、継続的な制度的圧力として作用したことを示す事情である。
2012年(平成24年)3月5日 辞職届提出
2012年(平成24年)3月5日、圓谷年雄は議会事務局に「議員辞職届」を提出した。
この辞職届は、第4回辞職勧告決議及び橋本克也市長の施政方針演説から4日後に提出されたものである。
2012年(平成24年)3月6日 辞職許可
2012年(平成24年)3月6日、須賀川市議会は3月定例会本会議において、圓谷年雄の辞職を認める議案を可決した。
辞職時点で、本来の任期は2015年(平成27年)8月頃まで残っており、任期を約3年5か月残しての辞職であった。
辞職に伴う欠員については、同年夏に予定されていた須賀川市長選挙と同時に補欠選挙が実施された。
本件では、逮捕から辞職許可までの間に、4回の辞職勧告決議が行われている。
そのうち第1回決議は起訴前・勾留中に、第2回決議は初公判前・有罪判決前に行われている。
小括
本件の時系列を見ると、単に刑事事件が発生し、その後に有罪判決が出たという流れではない。
逮捕後、起訴前・勾留中の段階で第1回辞職勧告決議が行われた。
その後、勾留が継続し、検察官取調べ、事故時刻の整理、起訴が行われた。
さらに、初公判前・有罪判決前に第2回辞職勧告決議が行われ、その後に初公判、有罪判決、判決確定へと進んでいる。
また、判決書の証拠標目には、第1回及び第2回辞職勧告決議に賛成した市議会議員2名の供述調書が掲げられている。
したがって、本件では、判決前の公的有罪視が存在する状態の下で、刑事手続が進行していたことが時系列上明らかである。
さらに、判決確定後も第3回・第4回辞職勧告決議が続き、2012年(平成24年)3月5日の辞職届提出、同月6日の辞職許可へと至っている。
この時系列は、第3部で扱う供述形成過程及び有罪認定に残る疑問、第4部で扱う無罪推定原則の侵害を検討するための基礎となる。
それでは、事件の記録と検証 第3部 残された合理的疑いへお進みください。







