2026年7月19日 更新
第1部 事実編 ― 確認できる事実のみ
本第1部では、公的記録、判決書、供述調書、実況見分調書、新聞報道、議会議事録等から確認できる事実を整理する。
ここでは、法的評価・解釈は加えない。
新聞報道については著作権に配慮し、報じられた事実の摘示と必要最小限の引用にとどめる。
本ページでは、当時の刑事手続上の地位を正確に示すため、圓谷年雄についても、時期に応じて「被疑者」「被告人」と表記する場合がある。
また、本ページでは、公開上の配慮から、必要な場合を除き、個人名は用いず、役職、立場又は関係性によって記載する。
事故前の状況
2011年(平成23年)10月18日、圓谷年雄は、翌日の議会に出席するための資料等を自宅で作成していた。
同日夕方から、同じ会派の市議らと市内の飲食店において、会派親睦会に参加した。※公開上の配慮から、飲食店名を匿名化した。
2011年(平成23年)10月20日付司法警察員面前調書には、「私が到着した時には、既に2人来ており、その後3人が来て私を含め合計6名で会合が始まりました」と記載されている。
同調書によれば、会合の参加者は、圓谷年雄を含む市議会議員6名であり、全員男性であった。
また、同調書には、会費は2時間飲み放題の1人5,000円であり、飲み放題のメニューの中で、自分はハイボールだけを頼んで飲んでいたとの記載がある。
さらに、同調書には、「私が飲んだハイボール量については、4、5杯位まで記憶があるのですが、それ以上は大分酒に酔ってしまい、覚えていません。また、途中から大分酔ってしまい、会合がいつ終わったのかも覚えていません。」と記載されている。
新聞報道では、圓谷年雄は、午後6時半ごろ「用事がある」と言って途中で退席したとされている。
出典:2011年(平成23年)10月20日付司法警察員面前調書、福島民報2011年(平成23年)10月20日朝刊
事故
2011年(平成23年)10月18日、福島県須賀川市内の市道において、本件事故が発生したとされた。

後の判決書では、圓谷年雄が普通乗用自動車を運転中、緩やかな右カーブで反対車線にはみ出し、道路脇のガードレールに衝突したものと認定されている。

人的被害は確認されておらず、人身事故には発展していない。
新聞報道では、通り掛かったドライバーが110番通報し、駆け付けた警察官が運転席に座っていた圓谷年雄を発見したとされている。
判決書では、事故時刻は「午後7時40分頃」と認定されている。
一方、事故直後の警察発表に基づく2011年(平成23年)10月20日付及び同月22日付の新聞報道では、事故時刻は「午後7時50分頃」とされている。
事故時刻の変遷については、後記「供述調書等の作成状況」における各調書の記載から確認できる。
また、車両写真では、普通乗用自動車の右前角バンパーに損傷が確認できる。


出典:福島民友2011年(平成23年)10月20日朝刊、福島民報2011年(平成23年)10月20日・22日朝刊、判決書、供述調書、車両写真
逮捕と取調べ
2011年(平成23年)10月19日午後1時10分頃、圓谷年雄は道路交通法違反(酒酔い運転)の容疑で逮捕された。
事故発生の翌日であり、現行犯逮捕ではなく通常逮捕であった。
同日、司法警察員面前の供述調書が作成された。
この初回調書には、出生、養子関係、経歴、職歴、市議会議員となった経緯、飲酒習慣等の身上事項も記載されている。
2011年(平成23年)10月20日付新聞報道では、圓谷年雄が「飲酒したことと事故を起こしたことは認めているが、飲酒運転については否認している」と報じられている。
2011年(平成23年)10月21日、圓谷年雄は検察官送致された。
弁護士事務所作成の計算書には、同日、父から実費預り金20,000円を受領した旨の記載がある。
この記載は、2011年(平成23年)10月21日に弁護士費用に関する金銭授受が発生していたことを示す資料である。
少なくとも、2011年(平成23年)10月19日及び同月20日の供述調書作成時点については、本ページで確認した資料上、弁護士関与を示す資料は確認できない。
出典:供述調書、福島民報2011年(平成23年)10月20日朝刊、弁護士計算書
供述調書等の作成状況
本件では、2011年(平成23年)10月19日の逮捕後から、同年11月9日の起訴前までの間に、複数の供述調書及び実況見分調書が作成されている。
各資料を作成日順に整理すると、本人が記憶していた事項、記憶していなかった事項、捜査機関から説明を受けた事項及び本人が推測として述べた事項の推移を確認することができる。
2011年(平成23年)10月19日付供述調書
司法警察員に対する供述調書である。
この調書は、逮捕当日に、逮捕後の身柄拘束下で作成された。
出生、養子関係、学歴、職歴、市議会議員となった経緯、財産、家族関係、飲酒習慣及び事故の概要等に関する記載がある。
同調書には、事故について、「私の事故は、平成23年10月18日午後7時50分頃、須賀川市桙衝字古舘79番地1先道路上でした」と記載されている。

この調書は逮捕後に作成されたものであり、事故当日の具体的な飲酒経緯、運転開始、走行経路及び事故に至る経過についての詳細な記載はない。
なお、2011年(平成23年)10月19日及び翌20日の各供述調書作成時点については、本ページで確認した資料上、弁護士の関与を示す資料は確認できない。
2011年(平成23年)10月20日付供述調書
司法警察員に対する供述調書である。
会派親睦会、飲酒経緯、飲酒量、運転代行業者への依頼、事故に気付いた状況等に関する記載がある。※公開上の配慮から、飲食店及び運転代行業者の名称を匿名化した。
同調書の冒頭には、「私は、平成23年10月18日午後7時50分ころ 須賀川市桙衝字古舘79番地1先路上で、飲酒運転をして交通事故を起こしました。事故を起こした時間と場所は警察官から聞いて分かりました。」と記載されている。
事故に気付いた状況については、「気がつくと今回の交通事故現場の車内運転席で寝ていた私に声をかける警察官の声に起こされました。」と記載されている。
また、飲食店で飲酒した後の記憶については、会合の途中から記憶が途切れ、事故現場で警察官に起こされるまで覚えていない旨が記載されている。
運転代行業者を利用しなかった理由についても、「今回、運転代行で帰らなかった理由は、分かりません。」と記載されている。
事故時刻及び事故場所については、「私が交通事故を起こした日時と場所は、今警察官から『平成23年10月18日午後7時50分ころ』『須賀川市桙衝字古舘79番地1先路上』と教えられ、分かりました。」と記載されている。
したがって、同調書に記載された午後7時50分頃という事故時刻及び事故場所は、本人が事故当時の記憶から特定したものではなく、警察官から説明を受けた事項として記録されている。
同調書の末尾には、「酒に酔いすぎて覚えていないところが多いのですが、自分で犯した罪は自分で償うべきものであるし、また、1人の政治家として再起するため今回の事は覚えていることを素直に話したいと思います。また、よく考えて思い出したことがあれば、当然素直に話したいと思います。」と記載されている。
2011年(平成23年)10月22日付供述調書
司法警察員に対する供述調書である。
飲食店を出た後の記憶、運転開始、運転目的、走行経路、事故現場に至る経緯及び当初飲酒運転を否認した理由等に関する記載がある。
飲食店を出た後の記憶については、「私は、酒に酔いすぎて店を出たことを覚えていません。」と記載されている。
飲食店から市役所駐車場への移動及び運転開始については、「携帯電話の発信履歴を見ると普段通り運転代行に電話を午後7時過ぎにしていたので、飲食店からは、車を駐車していた須賀川市役所まで何処にも立ち寄らずに歩いて向かったと思うのです。そして、市役所から車を運転して出発したと思います。」と記載されている。
この記載は、飲食店を出たことや市役所駐車場から運転を開始したことを思い出したという内容ではなく、携帯電話の発信履歴及び車両の駐車場所を前提として、「思う」と述べたものである。
市役所を出発してから事故現場に至るまでについても、「市役所から出発して交通事故を起こすまで覚えていないのですが、出発した市役所から交通事故現場の位置を考えると帰宅するために運転していたと思います。」と記載されている。
通常とは異なる方向へ進んだ理由については、普段利用していた運転代行業者が本人を送る際に使用する経路と混同し、直進する場所を誤って左折したのだと思う旨が記載されている。
また、「今は覚えていませんが普段の安全運転に気をつけようとした行動がでたのではないかと思います。」との記載もある。
当初飲酒運転を否認した理由については、「私は今まで事故や違反をしたことが無く、突然飲酒運転という社会的にも大変反響が大きい違反をしてしまったことから半分パニックになってしまい、初めは飲酒運転していないという話をしました」と記載されている。
この調書では、運転開始、運転目的及び走行経路に関する説明が、実際の行動の記憶ではなく、携帯電話の発信履歴、車両の駐車場所、事故現場の位置関係、普段の帰宅経路及び運転代行業者が通常使用する経路等を前提とする推測として記録されている。
2011年(平成23年)10月24日付実況見分調書
須賀川市役所駐車場から事故現場までの運転経路に関して作成された実況見分調書である。
実況見分は、2011年(平成23年)10月24日午後1時40分から同日午後2時5分まで実施された。
運転を開始した場所について説明を求められた際、本人は「酔っていて覚えていない」と申し立てたと記載されている。
その後、車両を市役所駐車場に駐車したと説明したことから、市役所駐車場が「車を駐車した地点」として設定されている。
事故現場までの運転経路について説明を求められた際にも、本人は「覚えていない」と申し立てたと記載されている。
そのため、市役所駐車場から事故現場まで、「現時点で通るとする道路」の説明を求めて実況見分が実施された。
実況見分調書では、市役所駐車場が車両を駐車した地点及び出発地点、事故現場が交通事故を起こした地点として記録され、両地点間の距離は約11.5キロメートルと測定されている。
添付された運転経路見取図には、市役所駐車場から事故現場までの経路が記載されている。
したがって、この実況見分調書に記録された経路は、本人が事故当日の実際の走行経路を思い出して再現したものではなく、本人が実際の走行経路を覚えていない状態で、「現時点で通るとする道路」として記録されたものである。
2011年(平成23年)10月25日付供述調書(第1通)
司法警察員に対する供述調書である。
飲食店で飲酒した後の記憶については、「飲食店で飲酒した後の事は、交通事故現場で起こされるまで覚えていません。」と記載されている。※公開上の配慮から、飲食店名を匿名化した。
市役所駐車場からの運転開始については、「しかし、飲酒する前、私は須賀川市役所の駐車場に車を駐車しているので、市役所駐車場から車の運転を開始したのは間違いないと思います。」と記載されている。
運転経路については、「飲酒運転した経路について、酒に酔いすぎて覚えていないのですが、普段市役所から帰宅するまでの経路とほぼ同じ所を通って飲酒運転したと思います。その経路については、警察官を案内しています。」と記載されている。
同調書には、司法警察員が、前日の2011年(平成23年)10月24日に作成された実況見分調書添付の運転経路見取図を本人に示した旨の記載がある。
示された経路図について、本人が、実況見分の際に警察官を案内したとおりに作成されている旨を述べたことも記載されている。
一方、走行距離については、「①から②までの運転距離については、約11.5キロメートルであると警察から説明を受けて分かりました。」と記載されている。
したがって、同調書では、本人が実際の走行経路を思い出したのではなく、前日に作成された運転経路見取図を示された上で、経路に関する供述が記録されている。
呼気検査結果については、酒酔い鑑識カードに呼気1リットル中0.71ミリグラムと記録されており、「この数値は私の体内から呼気1リットルにつき0.71ミリグラムのアルコールが検出されたことを意味すると説明を受けて分かりました。」と記載されている。
運転代行業者への連絡と運転開始については、「いつもは運転代行を頼んで帰宅しますし、私の携帯電話に運転代行に電話した発信履歴があった事から運転代行を頼んだと思いますが、運転代行を待つまでの間に車を運転しようという気持ちが出てしまったのだと思います。」と記載されている。
運転代行業者からの着信については、「私の携帯電話には、運転代行から電話がきていた着信履歴がありましたが、全く覚えていません。」と記載されている。
この段階でも、事故時刻は午後7時50分頃とされており、後の検察官面前供述調書に記載された午後7時40分頃という事故時刻は現れていない。
2011年(平成23年)10月25日付供述調書(第2通)
司法警察員に対する供述調書である。
飲食店で飲んだハイボールの銘柄及びグラスに関する訂正並びに飲酒量に関する補充が記載されている。
同調書には、ハイボールに使用されたウイスキーの銘柄について、前の供述が誤っていたとして別の銘柄へ訂正する旨が記載されている。
また、使用されたグラスのマークについても訂正されている。
本人が記憶している飲酒量については、「私が飲んだハイボールについては、4、5杯までは覚えていることに間違いありません。」と記載されている。
さらに、店で出されたハイボールは、普段本人が飲むものより濃かったと思う旨が記載されている。
2011年(平成23年)11月2日付検察官面前供述調書
福島地方検察庁郡山支部において作成された、検察官に対する供述調書である。
冒頭には、「私は、平成23年10月18日の午後7時50分頃に、須賀川市桙衝字古舘地内の道路で、自分がいつも乗っているハリアーという普通乗用自動車を酒酔い運転したという犯罪事実で取調べを受けていますが、そのとおり間違いないと思います。」と記載されている。
飲食店を出た後から事故現場までの記憶については、「その会合を出た状況もハリアーを運転した状況も思い出せず、その後に記憶があるのは現場に来ていた警察官と話をしているシーンからなのです。」と記載されている。
同調書には、「私は、逮捕された後、いろいろな捜査結果の内容を教えてもらいましたし、自分でも自分の携帯電話の発信履歴や着信履歴を見て確認しました。」と記載されている。
本人が示された捜査結果として、会合の当初の終了予定時刻である午後7時になった後、本人だけが先に退席したこと、午後7時9分に運転代行業者へ電話をかけて代行を依頼したこと、午後7時14分に催促の電話をかけたこと、午後7時30分に運転代行業者から着信があったことが記載されている。
また、国道118号を市街地から西に向かった地点にある、新幹線高架下手前の道路工事による片側交互通行箇所で、本人が車両を運転して西に向かって走行しているところを見た者がいること、国道118号沿いのコンビニエンスストアに立ち寄った形跡はないことも記載されている。
一方、本人は、自分が他の参加者より先に退席した状況及び運転代行業者へ電話をかけた状況について、「思い出せません」と述べている。
運転意思については、本人が自分で市役所から運転して出発したことは間違いないはずであり、遵法精神の意識が弱くなり、運転代行業者が来るのを待ちきれず、自分で運転して帰ろうという考えを起こしたのだと思う旨が記載されている。
事故時刻の整理については、検察官から、片側交互通行箇所で本人の車両が目撃された時刻が午後7時30分頃であると説明された旨が記載されている。
その上で、午後7時14分の催促後、しばらく待ったものの待ちきれずに自ら運転して帰る気持ちになり、午後7時20分過ぎ頃に市役所駐車場を出発し、約10分で片側交互通行箇所を通過したとすれば、午後7時30分頃という目撃時刻と矛盾しないとの説明が記録されている。
さらに、同地点から事故現場までは約10分と見積もられ、「ガードレールに衝突する事故を起こしてしまった時刻は、午後7時40分頃だと思われます。」と記載されている。
本人が事故時刻を思い出したとの記載はなく、午後7時40分頃という時刻は、携帯電話の発着信履歴、第三者による走行目撃情報及び各地点間の推定所要時間を組み合わせた説明として記録されている。
事故時刻を午後7時40分頃とする記載が初めて現れるのは、この2011年(平成23年)11月2日付検察官面前供述調書である。
この午後7時40分頃という時刻は、その後、2011年(平成23年)11月9日付起訴状及び2012年(平成24年)1月16日付判決書に引き継がれている。
判決書の「証拠の標目」には、被告人本人の当公判廷における供述、被告人の検察官に対する供述調書1通及び司法警察員に対する供述調書4通が掲げられている。
また、司法警察員に対する第三者3名の各供述調書及び検察官に対する第三者2名の各供述調書も掲げられている。
検察官に対する供述調書を作成された第三者2名は、当時の須賀川市議会議員であり、会派親睦会に参加していた者である。
これら第三者5名に対する証人尋問及び被告人側からの反対尋問は行われていない。
出典:各供述調書、実況見分調書、起訴状、判決書
起訴と保釈
2011年(平成23年)11月9日、福島地方検察庁郡山支部は、圓谷年雄を道路交通法違反(酒酔い運転)の罪で起訴した。
同日、圓谷年雄は保釈された。
起訴は、後記の第1回辞職勧告決議が可決された後に行われている。
出典:起訴状、保釈許可決定、新聞報道
初公判
2011年(平成23年)12月26日、福島地方裁判所郡山支部において初公判が開かれた。
被告人は起訴事実を認め、同日、審理は結審した。
検察側は懲役1年を求刑し、判決公判は2012年(平成24年)1月16日に指定された。
出典:判決書、福島民報・福島民友2011年(平成23年)12月27日朝刊
判決
2012年(平成24年)1月16日、福島地方裁判所郡山支部は、被告人を懲役1年、執行猶予3年に処する判決を言い渡した。
同年1月31日、控訴期間の満了により判決は確定した。
事件番号は平成23年(わ)第177号である。
判決において、罪となるべき事実は、2011年(平成23年)10月18日午後7時40分頃の酒酔い運転と認定されている。
判決書の「証拠の標目」には、被告人本人の当公判廷における供述、被告人の検察官に対する供述調書1通及び司法警察員に対する供述調書4通が掲げられている。
また、司法警察員に対する第三者3名の各供述調書及び検察官に対する第三者2名の各供述調書も掲げられている。
第三者5名に対する証人尋問及び被告人側からの反対尋問は行われていない。
検察官に対する供述調書を作成された第三者2名は、当時の須賀川市議会議員であり、会派親睦会に参加していた者である。
この2名は、第1回及び第2回辞職勧告決議に賛成した市議会議員でもあった。
判決理由において、裁判所は、被告人が現職の市議会議員であり、市民の代表として高い遵法精神が求められていたことを指摘した上で、「須賀川市民に与えた衝撃と失望は軽視できない」と述べた。
判決は、運転代行に関し、「被告人が正しく駐車場所を伝えなかった上、十分連絡を取り合うことなく早々に自ら運転を開始したことが認められる」と判示している。
出典:判決書
須賀川市議会による4度の辞職勧告決議
本件では、須賀川市議会において、圓谷年雄に対する辞職勧告決議が合計4回可決された。
各決議の提案者はいずれも当時の副議長であった。
第1回辞職勧告決議前の議会運営委員会 2011年(平成23年)10月24日
2011年(平成23年)10月24日午後2時40分から、須賀川市議会議会運営委員会が開かれた。
会議は午後3時23分に閉会した。
同日午後1時40分から午後2時5分まで、圓谷年雄の立会いによる実況見分が行われていた。
したがって、議会運営委員会は、実況見分終了から約35分後に開会したことになる。
議会運営委員会では、圓谷年雄議員に対する第1回辞職勧告決議案の文案と、本会議における処理手順が協議された。
当初の文案にあった地元新聞への直接の言及は削除された。
一方、圓谷年雄が道路交通法違反の疑いで逮捕されたことを前提として、政治的・道義的責任、市民感情、議会の権威保持及び名誉回復を理由に辞職を求める構成は維持された。
また、本会議では、提案理由の説明後、質疑、委員会付託及び討論を省略し、決議案を表決する手順が整理された。
出典:2011年(平成23年)10月24日須賀川市議会議会運営委員会会議録、実況見分調書
第1回辞職勧告決議 2011年(平成23年)10月26日
2011年(平成23年)10月26日、須賀川市議会は、9月定例会最終本会議において、第1回議員辞職勧告決議を全会一致で可決した。
この決議は、逮捕から7日後、起訴前の段階で行われた。
この時点で、圓谷年雄は須賀川警察署に勾留されていた。
圓谷年雄は自らの意思で本会議を欠席したのではなく、起訴前の勾留により、本会議へ出席できない状態に置かれていた。
議事録上、須賀川市議会が、勾留中の圓谷年雄から事前に事情を聴いたこと、弁明の機会を与えたこと又は反論の機会を確保したことを示す記載はない。
本会議では、10月24日の議会運営委員会で整理された手順に従い、提案理由の説明後、質疑、委員会付託及び討論が省略され、表決が行われた。
本会議は午前10時に開議され、午前10時4分に休憩に入っている。
したがって、第1回辞職勧告決議に関する議事は、圓谷年雄が起訴前の勾留により出席できず、弁明及び反論の機会も確認できない状態で、開議から休憩までの4分間に行われた。
議会事務局によれば、辞職勧告決議には法的拘束力はない。
当時の議長は、決議を通知するため須賀川警察署を訪れたが、圓谷年雄が面会を拒否したため通知できなかったと報じられている。
出典:須賀川市議会議事録、2011年(平成23年)10月24日須賀川市議会議会運営委員会会議録、福島民報2011年(平成23年)10月27日朝刊
議員全員協議会 2011年(平成23年)11月24日
2011年(平成23年)11月24日、須賀川市議会において議員全員協議会が開かれた。
この時点で、圓谷年雄は起訴後であったが、第1回公判はまだ開かれていなかった。
圓谷年雄は、議員活動を通じて信頼回復に努めること、後援会から議員を継続するよう要請されていること及び刑事裁判の結果を待って進退を判断することを理由として、議員を続けるとの意思を示した。
後の第2回辞職勧告決議の提案理由では、圓谷年雄が、この議員全員協議会において飲酒運転を認めたと説明されている。
出典:須賀川市議会議事録、新聞報道
第2回辞職勧告決議前の議会運営委員会 2011年(平成23年)11月28日
2011年(平成23年)11月28日、須賀川市議会議会運営委員会が開かれた。
議会運営委員会では、11月24日の議員全員協議会における圓谷年雄の言動について、第1回辞職勧告決議に応じる姿勢を感じることができなかったとの評価が示された。
また、圓谷年雄が自ら飲酒運転を認める発言をしており、このまま議員を続けることは断じて許されないことを本人に理解させるためにも、再度決議すべきであるとの趣旨が示された。
その後、12月1日の本会議において、圓谷年雄を除斥し、提出者による提案理由の説明を行い、質疑及び討論を省略して採決する手順が整理された。
さらに、決議が可決された場合には、本会議を休憩し、議長室で圓谷年雄に決議された旨を告知した後、本会議を再開することも整理された。
出典:2011年(平成23年)11月28日須賀川市議会議会運営委員会会議録
第2回辞職勧告決議 2011年(平成23年)12月1日
2011年(平成23年)12月1日、須賀川市議会は、12月定例会初日において、第2回議員辞職勧告決議を可決した。
この決議は、起訴後ではあるが、第1回公判前かつ有罪判決前の段階で行われた。
また、圓谷年雄が刑事裁判の結果を待って進退を判断するとの意思を示した7日後、議会運営委員会で再決議の理由及び処理手順が整理された3日後に行われた。
圓谷年雄は本会議に出席していたが、地方自治法第117条を理由として退場を求められた。
圓谷年雄が退場した後、提案理由の説明が行われた。
提案理由では、圓谷年雄が、議員活動を通じて信頼回復に努めること、後援会から議員を継続するよう要請されていること及び裁判結果を待って進退を判断することを理由として、議員を続けるとしていることが説明された。
その上で、これらの対応について、「社会正義に反する」との評価が示された。
さらに、「在職中に飲酒運転をしたことは言語道断であり、そうした人間がそのまま市議会議員を続けるべきではありません」との発言が行われた。
提案理由説明後、質疑及び討論は省略された。
出席議員全員の起立により、決議は可決された。
本会議はその後休憩に入り、圓谷年雄は議長室において決議が可決された旨を告知された。
出典:須賀川市議会議事録、2011年(平成23年)11月28日須賀川市議会議会運営委員会会議録
第3回辞職勧告決議 2012年(平成24年)2月9日
2012年(平成24年)2月9日、須賀川市議会は、第1回臨時会において、第3回議員辞職勧告決議を全会一致で可決した。
この決議は、判決言渡し後、判決確定後の段階で行われた。
第3回決議文には、次の記述がある。
「これまで本市議会は、圓谷年雄議員に対して、二度にわたり議員辞職勧告を決議したところである。その上、去る1月16日に有罪という裁判結果を受けてもなお、議員を辞職する考えがないとしている」
また、同決議文には、「我々は、何度でも訴え続ける」との記述もある。
提案理由において、当時の副議長は「実刑判決」との表現を用いた。
なお、本件判決は懲役1年・執行猶予3年であり、「実刑判決」とする表現は判決内容とは一致しない。
出典:須賀川市議会議事録
第4回辞職勧告決議 2012年(平成24年)3月1日
2012年(平成24年)3月1日、須賀川市議会は、3月定例会初日において、第4回議員辞職勧告決議を全会一致で可決した。
提案理由において、当時の副議長は、被告人が3月議会に一般質問を通告したことについて、次のように発言した。
「自身の身勝手な言い分を正当化するかのように今議会に一般質問を通告するなど、その行為は偽善者そのものであり、断じて看過できるものではありません」
「偽善者」という表現は、市議会本会議の公式議事録に記録された議員発言である。
出典:須賀川市議会議事録
議会外組織の発足
議員辞職を求める文書の配布
須賀川市内では、「圓谷年雄氏に対して議員辞職を促す会」と題する文書が実際に配布された。
文書には、圓谷年雄が逮捕・起訴されたこと、須賀川市議会が2度にわたり辞職勧告決議を行ったこと、議員報酬及び期末手当の金額、議会への出欠状況などが記載されている。
末尾には、「発起人代表 菊地忠男」と記載されている。菊地忠男は、当時の民主党公認の須賀川市議会議員である。
この文書には作成日及び配布日の記載がない。ただし、平成23年12月定例会における出欠状況に言及していることから、同定例会の終了日である2011年12月19日以降に作成されたものとみられる。
出典:圓谷年雄氏に対して議員辞職を促す会
「円谷市議の議員辞職を求める会」発足 2012年(平成24年)2月23日
「円谷」という表記は団体名の原文による。本サイトにおける表記は「圓谷」で統一している。
2012年(平成24年)2月23日、被告人を除く須賀川市議会の全議員27人が参加する組織として、「円谷市議の議員辞職を求める会」が発足した。
福島民報2012年(平成24年)2月24日朝刊は、同会について「最終的に公職選挙法に基づく市民の解職請求(リコール)を後押しする」と報じている。
なお、地方議員の解職請求は地方自治法上の制度である。
地方自治法第84条は、無投票当選の場合を除き、議員の解職請求は、就職の日から1年間はすることができないとされている。
本件における被告人の就任は2011年(平成23年)9月であったため、2012年(平成24年)2月時点では、地方自治法上の解職請求を行うことはできない時期であった。
出典:福島民報2012年(平成24年)2月24日朝刊、地方自治法第84条
市長による施政方針演説における言及 2012年(平成24年)3月1日
2012年(平成24年)3月1日、第4回辞職勧告決議が可決された後、当時の市長は、同日の施政方針演説の最終部分において、本件に言及した。
市長は冒頭で、「現在の地方自治制度は、二元代表民主制をとっており、市長と市議会議員は別々の選挙で市民から選ばれているため、辞職の有無については、あくまで議員本人が判断すべきもの」と述べた。
その上で、4度の辞職勧告決議について、「須賀川市制始まって以来の異常な事態」「須賀川市の名誉と尊厳を著しく傷つける事態」「震災復興の大きな妨げ」などと述べた。
さらに市長は、「極めて異例ではありますが」と前置きした上で、「政治の責任を果たすとは、局面において課せられた責任をとってこそ、果たされる場面もある」と述べ、論語「民信無くば立たず」を引用した。
結語として、「議員である以上、議会の決議の重さを自覚されるとともに、選ばれし者の身の処し方について、現状のさまざまな影響の大きさを十二分に斟酌され、良識ある判断がなされることを期待しております」と述べた。
出典:市長施政方針演説、須賀川市議会議事録
辞職届提出と辞職許可
2012年(平成24年)3月5日 辞職届提出
2012年(平成24年)3月5日、被告人は議会事務局に「議員辞職届」を提出した。
本件は、同市議会において議員辞職届が提出された初めてのケースであった。
この辞職届は、第4回辞職勧告決議及び当時の市長による施政方針演説から4日後に提出されたものである。
福島民友2012年(平成24年)3月6日朝刊は、辞職決断の理由について、被告人が当時運営していたホームページで「橋本克也市長が市議会3月定例会の施政方針演説の中で、私が議員でいることが復興の妨げになると発言したこと」が要因であると表明していたことを報じている。
出典:福島民友2012年(平成24年)3月6日朝刊
2012年(平成24年)3月6日 辞職許可
2012年(平成24年)3月6日、須賀川市議会は、3月定例会本会議において、被告人の辞職を認める議案を可決した。
辞職時点で、本来の任期は2015年(平成27年)8月頃まで残っており、任期を約3年5か月残しての辞職であった。
辞職に伴う欠員については、同年夏に予定されていた須賀川市長選挙と同時に補欠選挙が実施された。
出典:須賀川市議会議事録、福島民報・福島民友2012年(平成24年)3月7日朝刊
当時の主要報道
本件は、福島民報及び福島民友の両紙において、2011年(平成23年)10月20日から2012年(平成24年)3月7日まで継続的に報道された。


2011年(平成23年)10月20日 福島民報
逮捕翌日の報道で、被疑者が容疑を否認していることが報じられた。
所属会派が、会派からの除名処分を決定したことも報じられた。
2011年(平成23年)10月21日 福島民報・福島民友
福島民報は、当時の議長が記者会見で「当初、『携帯電話に運転代行を呼んだ履歴があり、飲酒運転はしていない』と主張していたが、大筋で容疑を認め始めた」と発言したことを報じた。
両紙は、第1回辞職勧告決議案提出方針を報じた。
福島民友は、当時の議長が、被疑者が事故前、市内の飲食店で同じ会派の複数の議員を交えて酒を飲んでいたことも明かしたと報じた。
2011年(平成23年)10月22日 福島民報
警察発表に基づき、事故時刻が「午後7時50分ごろ」と報じられた。
2011年(平成23年)10月27日 福島民報・福島民友
第1回辞職勧告決議の可決が報じられた。
決議に法的拘束力がないことも報じられた。
2011年(平成23年)11月10日 福島民報・福島民友
起訴が報じられた。
福島民友の見出しには「酒気帯び運転で 須賀川市議起訴」とあるが、起訴罪名は道路交通法違反(酒酔い運転)である。また、本件で認定された呼気濃度は0.71mg/Lである。
起訴状本文では「酒気を帯びた状態で」との表記が用いられている。
事故時刻については、起訴状において「午後7時40分」と記載されている旨が報じられた。
2011年(平成23年)11月25日 福島民報・福島民友
前日に開催された議員全員協議会について、被告人が「現段階では議員辞職はしない」「議員活動の中で市民の信頼回復を図る」と述べたことが報じられた。
2011年(平成23年)11月30日 福島民報
第2回辞職勧告決議案の提出方針が報じられた。
2011年(平成23年)12月2日 福島民報・福島民友
第2回辞職勧告決議の可決が報じられた。
被告人のコメントとして「2度の決議は真摯に受け止める」「進退について、少し考えたい」と報じられた。
2011年(平成23年)12月27日 福島民報・福島民友
初公判での求刑が報じられた。
福島民友は、検察側冒頭陳述において「運転代行業者を呼んだものの待ちきれずに自分で運転し事故を起こした」と説明された旨を報じた。
2012年(平成24年)1月17日 福島民報・福島民友
前日の有罪判決が報じられた。
2012年(平成24年)2月10日 福島民報・福島民友
第3回辞職勧告決議の可決が報じられた。
2012年(平成24年)2月24日 福島民報
「円谷市議の議員辞職を求める会」の発足が報じられた。
2012年(平成24年)3月2日 福島民報・福島民友
第4回辞職勧告決議の可決と、市長による施政方針演説での言及が報じられた。
2012年(平成24年)3月6日 福島民友
被告人による辞職届提出が報じられた。
2012年(平成24年)3月7日 福島民報・福島民友
市議会が辞職を許可したことが報じられた。
小括
本第1部では、事故発生から逮捕、取調べ、供述調書等の作成、起訴、初公判、有罪判決、判決確定、4度の辞職勧告決議、議会外組織の発足、市長発言、議員辞職届提出、辞職許可までの確認できる事実を整理した。
本件では、起訴前・勾留中に第1回辞職勧告決議が行われ、初公判前・有罪判決前に第2回辞職勧告決議が行われている。
また、判決書の証拠標目には、会派親睦会に同席した市議らの検察官に対する供述調書が掲げられている。
これらの市議らは、会派親睦会の参加者であるとともに、第1回及び第2回辞職勧告決議にも関与した市議会議員であった。
これらの事実は、第2部の時系列整理、第3部の供述形成過程及び合理的疑いの検討、第4部の無罪推定原則侵害の検討における前提事実となる。
それでは、事件の記録と検証 第2部 時系列 ― 事故発生から判決確定・議員辞職へお進みください。






