「見解(Views)」とは何か
市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)は、生命に対する権利、身体の自由、公正な裁判を受ける権利、無罪推定、表現の自由など、市民的・政治的権利を保障する国際条約である。
自由権規約委員会(Human Rights Committee)は、ICCPRによって設置された独立した専門家からなる委員会であり、締約国によるICCPRの実施状況を監視する役割を担っている。
ICCPRには、これとは別に「自由権規約第一選択議定書」がある。第一選択議定書の締約国は、自国の管轄下にある個人から、ICCPRによって保障された権利を侵害されたとする通報を自由権規約委員会が受理し、審理する権限を認めている。
この手続は、一般に「個人通報制度」と呼ばれる。
個人から提出された通報について、受理可能性や当事者双方から提出された情報を委員会が検討し、個別事件についてICCPR違反があったかどうかなどを示した判断が、「見解(Views)」である。
「見解」は日本の裁判所による判決ではない。一方、単なる研究者の意見や一般的な声明とも異なり、ICCPRによって設置され、その解釈を担う自由権規約委員会が、具体的な事実関係にICCPRを適用して示した判断である。
日本はICCPRの締約国であるが、自由権規約第一選択議定書を受諾していない。このため、日本を相手方とする個人通報を自由権規約委員会に申し立てる制度は現在利用できない。
もっとも、第一選択議定書を受諾していないことと、ICCPRそのものについて日本が締約国として義務を負っていることは別の問題である。
また、他国について示された見解が、そのまま日本の個別事件についての判断になるものでもない。
本サイトでは、自由権規約委員会の見解を、日本について直接下された判決又は決定として扱うのではなく、ICCPRの各条項を、同規約によって設置された自由権規約委員会が具体的な事実に対してどのように解釈・適用しているのかを確認する比較資料として取り上げる。
Khudayberdiev v. Kyrgyzstanでは、とりわけ議会決議と無罪推定との関係について、多数意見と古谷修一委員の反対意見が異なる判断を示している。
見解の概要
事件名:
Khudayberdiev v. Kyrgyzstan
通報番号:
No. 2522/2015
文書番号:
CCPR/C/127/D/2522/2015
採択主体:
国際連合自由権規約委員会
United Nations Human Rights Committee
見解採択日:
2019年11月8日
当事国:
キルギス
対象規定:
市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)第14条第1項及び第2項
本記事で扱う主な論点:
刑事裁判の前に議会が採択した決議と無罪推定、公的機関による有罪の予断、議会決議が刑事裁判に与えた具体的影響を第14条第2項違反の判断において要求すべきか
文書の種類:
自由権規約第一選択議定書第5条第4項に基づく自由権規約委員会の見解
個別意見:
古谷修一委員による反対意見
Individual opinion of Committee member Shuichi Furuya (dissenting)
確認方法:
国際連合が公開する公式文書により確認
掲載形式:
事案及び委員会多数意見の判断を要約するとともに、本件との比較上重要な古谷修一委員の反対意見を区別して紹介する。原文は必要な範囲のみ限定的に引用し、本件との共通点及び相違点を整理する。
原文資料:
国際連合公式文書
CCPR/C/127/D/2522/2015
この見解で確認できる事実
通報者Khalilzhan Khudayberdievは、キルギスのオシ出身のウズベク系住民であり、テレビ局OshTVの創設者及び元ディレクターであった。
2010年5月から6月にかけ、キルギス南部のオシ及びジャララバード周辺で民族間の衝突が発生した。通報者は、その一連の事件を組織し、これに参加したなどとして刑事責任を問われた。
2011年6月16日、キルギス議会は、2010年の事件について自ら行った調査に基づく決議を採択した。
その決議7項では、通報者の氏名が事件の「organizers」の一人として掲げられ、民族主義的・分離主義的運動への参加者として記載された。
また、決議21項には、2010年の事件の指導者、組織者及び参加者の財産を没収するよう求める内容が含まれていた。
その後、2011年10月28日、Jalal-Abad City Courtは、通報者を欠席のまま審理し、分離主義、大規模騒乱及び殺人等について有罪として、懲役20年及び財産没収を言い渡した。
通報者は、議会決議が公正な裁判を受ける可能性及び無罪推定を奪い、刑事裁判の結果にも強い影響を与えたとして、第14条第1項及び第2項等の侵害を主張した。
これに対してキルギス政府は、議会には調査委員会の結果を議論する権限があり、最終判断を行うのは裁判所である以上、議会での議論が司法権への干渉と解釈されることはないと主張した。
自由権規約委員会は、第14条第1項及び第2項に関する主張を受理し、本案について判断した。
重要な判断
多数意見―議会決議の存在だけでは違反を認定しなかった
自由権規約委員会多数意見は10.2項において、一般的意見32号を参照し、無罪推定が人権保護の基本的保障であることを確認した。
多数意見は、議会決議が通報者及び共同被告人を、2010年5月及び6月に発生した事件の「organizers and perpetrators」と記述していることを認識した。
一方、同じ決議には、関係する刑事裁判について最高裁判所が完全な透明性を確保することや、被告人の親族及び国際機関の代表者が法廷へ入れるようにすることを求める記載もあった。
多数意見が最終的に重視したのは、議会決議が刑事裁判にどのような影響を与えたのかについて、通報者が具体的な情報を示していなかったことである。
多数意見は、議会決議を「a political document」と位置付けた上で、その決議が通報者の刑事手続にどのように影響したかを示す情報がないとして、第14条第2項違反を認定しなかった。
その結果、第14条第1項についても違反を認定しなかった。
古谷修一委員の反対意見―問題は裁判への影響ではなく、有罪を示唆したこと自体である
これに対し、自由権規約委員会委員である古谷修一氏は、多数意見に反対する個別意見を付した。
古谷委員は、一般的意見32号30項を基礎として、無罪推定から生じる義務は、裁判官及び検察官の刑事手続上の行為だけに限定されないとした。
そして、より広い社会的文脈においても、被疑者及び被告人は、権限ある裁判所によって有罪と判断されるまでは無罪として扱われなければならないとした。
そのうえで8項では、次の趣旨を明確にしている。
“Treatment suggesting the guilt of a suspect or accused in and of itself may constitute a violation of the presumption of innocence.”
すなわち、被疑者又は被告人の有罪を示唆する取扱いは、それ自体で無罪推定の侵害を構成し得るというものである。
古谷委員は、多数意見が「議会決議が刑事裁判にどのような影響を及ぼしたか」を問題とした点について、核心はそこではないと指摘した。
問題となるべきなのは、
議会決議が実際に通報者の有罪を示唆していたかどうか
であるとした。
決議7項が、通報者の氏名を、刑事訴追の対象となった事件の「perpetrators」の一人として明示していたことを重視し、議会に調査結果を議論する権限があるとしても、国家機関である以上、無罪推定の原則に従って本人を取り扱う義務があるとした。
そして古谷委員は、権限ある裁判所が判断する前に通報者の有罪を示唆した議会決議の採択は、第14条第2項違反を構成すると結論付けた。
古谷修一委員について
本見解には、自由権規約委員会委員であった古谷修一氏による反対意見が付されている。
古谷氏は、国際法、特に国際人権法、国際人道法及び国際刑事法を専門とする研究者である。2018年(平成30年)6月、ニューヨークの国連本部で行われた自由権規約委員会委員選挙において、日本から立候補し、委員に選出された。
外務省は古谷氏について、国際人権法等を専門とし、30年以上にわたる国内外での研究・教授経験を有すると紹介している。

画像キャプション:
外務省「自由権規約委員会委員選挙における古谷候補の当選」(2018年6月15日)。古谷修一氏の専門分野及び自由権規約委員会委員への当選について紹介している。
出典:外務省ウェブサイト
また、外務省の『外交青書2019』には、古谷氏本人による「人権委員会(自由権規約委員会)委員に選出されて」と題するコラムが掲載されている。
古谷氏はその中で、市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR・自由権規約)が、生命に対する権利、身体の自由、公正な裁判、思想・信条・宗教の自由、選挙・公務に参与する権利、法の前の平等など、民主主義と法の支配の実現に不可欠な権利と自由の保障を締約国に義務付けていると説明している。
さらに、自由権規約委員会の主な任務について、締約国から提出される報告書を審査することに加え、ICCPR上の権利侵害を訴える被害者からの通報を受理し、検討することにあると説明している。

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外務省『外交青書2019』掲載「人権委員会(自由権規約委員会)委員に選出されて」(早稲田大学教授・古谷修一)。ICCPRが保障する権利及び自由権規約委員会の役割について、古谷氏自身が説明している。
出典:外務省ウェブサイト『外交青書 > 外交青書 2019 > 第3章 国益と世界全体の利益を増進する外交 > 第1節 日本と国際社会の平和と安定に向けた取組 > 7 人権』
本記事で取り上げるKhudayberdiev事件の反対意見は、この自由権規約委員会の委員として、古谷氏が個別事件の審理に参加して示したものである。
もっとも、古谷氏が日本から立候補して委員に選出されたことや、外務省がその経歴及び活動を紹介していることと、Khudayberdiev事件における古谷氏の反対意見を日本政府が支持していることとは別である。
本記事は、古谷氏の反対意見を日本政府の見解として紹介するものではない。
ここで重要なのは、ICCPRによって設置された自由権規約委員会の委員として、国際人権法を専門とする古谷氏が、一般的意見32号30項を踏まえ、議会という公的機関による有罪の示唆と無罪推定との関係について、どのような解釈を示したのかという点である。
古谷委員は、議会決議が刑事裁判の結果に実際に影響したかどうかを決定的な問題とはせず、権限ある裁判所による有罪判断前に、公的機関が本人の有罪を示唆する取扱いをしたこと自体が、無罪推定の侵害を構成し得るとの立場を示した。
多数意見と古谷意見の違い
この見解の重要性は、単に「議会決議について無罪推定が問題となった」という点だけではない。
多数意見と古谷委員は、無罪推定違反を判断する際に何を要求するのかについて明確に分かれている。
多数意見は、議会決議が刑事裁判に与えた具体的影響について十分な情報が示されていないことを理由に、第14条第2項違反を認定しなかった。
これに対して古谷委員は、そのような具体的影響を要件とすること自体に反対した。
古谷意見によれば、問題は、公的機関の行為が刑事裁判の結論を現実に左右したかどうかではない。
公的機関が、権限ある裁判所による有罪判断の前に、被疑者又は被告人を有罪であるかのように扱ったかどうかが問題となる。
この相違は、無罪推定を「公正な刑事裁判を確保するための手段」としてのみ理解するのか、それとも「有罪判決まで国家から無罪として扱われる独立した権利」としても理解するのかという問題に直結する。
この見解から生じる疑問
議会も国家の公的機関である以上、刑事裁判の確定前に被疑者又は被告人を有罪であるかのように評価することは、どこまで許されるのか。
無罪推定の侵害を認定するためには、公的機関による表明又は決議が、刑事裁判の判決に実際に影響したことまで証明する必要があるのか。
それとも、古谷意見が示すように、有罪を示唆する公的な取扱いそれ自体が、第14条第2項によって保護される権利を侵害し得るのか。
また、「最終的な有罪・無罪を判断するのは裁判所である」という理由だけで、裁判前に他の国家機関が行った有罪を示唆する評価を正当化することができるのか。
さらに、議会に政治的判断や調査結果を公表する権限があるとしても、その権限の行使は、ICCPR第14条第2項が保障する無罪推定による制約を受けないのか。
本見解は、これらの問題を、多数意見と反対意見という異なる二つの立場から検討するための重要な資料である。
関連法規・条約・国際法上の基準
市民的及び政治的権利に関する国際規約第14条第2項
刑事上の罪に問われているすべての者について、法律に基づいて有罪とされるまでは無罪と推定される権利を保障する。
自由権規約委員会一般的意見32号30項
無罪推定を人権保護の基本的保障と位置付けるとともに、すべての公的機関に対し、被告人の有罪を肯定する公的声明を控える義務があることを示している。
Khudayberdiev事件では、多数意見及び古谷修一委員の反対意見の双方が一般的意見32号を参照しているが、その具体的な適用について結論が分かれた。
市民的及び政治的権利に関する国際規約第14条第1項
法律の下での平等並びに独立・公平な裁判所による公正な審理に関する保障を定める。
通報者は、議会決議が刑事裁判へ影響したことにより、第14条第2項だけでなく第14条第1項にも違反したと主張した。
本件との関係
Khudayberdiev事件と本件との間には、重要な共通点がある。
いずれも、刑事裁判による有罪判断が確定する前に、地方又は国の議会による決議が行われ、その決議と無罪推定との関係が問題となるという構造を有する。
本件では、2011年(平成23年)10月26日、本人が逮捕・勾留されている段階で、須賀川市議会が第1回辞職勧告決議を採択した。
この時点では起訴さえされていなかった。
さらに、2011年(平成23年)12月1日には第2回辞職勧告決議が採択されたが、この時点でも初公判は開始されていなかった。
もっとも、Khudayberdiev事件と本件では、議会決議の具体的文言、議会の法的位置付け、決議の内容及び効果、刑事事件の内容その他の事情が異なる。
また、自由権規約委員会多数意見は、Khudayberdiev事件について第14条第2項違反を認定していない。
したがって、この見解を「議会決議は無罪推定に違反するとの自由権規約委員会の判断」として紹介することは正確ではない。
一方で、本件との比較上特に重要なのが、古谷修一委員の反対意見である。
古谷委員は、無罪推定上の問題を判断するために、その公的行為が刑事裁判に実際に影響したことを要求すべきではないと明確に述べている。
その立場によれば、問われるべきなのは、
公的機関による行為が、有罪判決前の本人を有罪であるかのように取り扱ったか
ということである。
この視点から本件を見る場合、単に「須賀川市議会の辞職勧告決議が刑事裁判の判決に影響したか」という問題だけではなく、
- 各辞職勧告決議が採択された時点
- 決議理由として示された事実
- 本人についてどのような評価が行われたのか
- 本人が刑事責任を争っている段階であったこと
- 裁判結果を待つとの本人の意思表示がどのように扱われたのか
- 議会が公的機関として無罪推定に従って本人を扱ったと評価できるのか
を検証する必要が生じる。
特に本件では、第1回辞職勧告決議が起訴前、第2回辞職勧告決議が初公判前に行われている。
そのためKhudayberdiev事件、特に古谷修一委員の反対意見は、刑事裁判への具体的な影響の有無とは別に、議会という公的機関が有罪判決前の者をどのように扱うべきかを検討する上で、極めて重要な比較資料となる。
関連資料
見解篇―自由権規約委員会・Gridin v. Russian Federation:法執行機関による犯人視と無罪推定(2000)
見解篇―自由権規約委員会・Cedeño v. Bolivarian Republic of Venezuela:大統領による犯人視と無罪推定(2012)
見解篇―自由権規約委員会・Kh.B. v. Kyrgyzstan:議会決議の刑事裁判への影響と無罪推定(2017)
見解篇―自由権規約委員会・Orkin v. Russian Federation:裁判所ウェブサイトの有罪表明と無罪推定(2019)
見解篇―自由権規約委員会・Khudayberdiev v. Kyrgyzstan:議会決議と無罪推定(2019)本記事
見解篇―自由権規約委員会・Brewer-Carías v. Bolivarian Republic of Venezuela:公的機関による有罪の予断と無罪推定(2021)
見解篇―自由権規約委員会・Berezhnaya and Gershankova v. Belarus:捜査当局による情報提供と無罪推定(2024)
()内の数字は、国際連合自由権規約委員会による採択年。
English version:
掲載予定
