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事件の記録と検証 第3部

2026年7月19日 更新

第3部 残された合理的疑い

供述形成過程と有罪認定に残る構造的問題

はじめに

本第3部では、第1部・第2部で整理した事実を踏まえ、本件有罪認定に残された合理的疑いを検証する。

本件で問われるべき問題は、個々の疑問を並べることで尽きるものではない。
各疑問の根底にある構造的問題は、一点に収束する。

すなわち、本件の供述調書は、被告人本人の体験記憶に基づく自白ではなく、記憶が欠落した状態で捜査側から示された情報を前提として、推測により構成された供述にとどまるのではないかという問題である。
この問題は、捜査段階の供述形成だけにとどまらない。否認から推測供述形成への転換、公判廷での認否、そして判決理由まで、一つの構造として連続している。

また、これらの疑問が存在する刑事手続そのものが、判決確定前に公的機関による有罪前提の評価が示された状態の下で進行していた。

したがって、本第3部では、単に事件の細部を争うのではなく、供述形成過程、有罪認定、公判廷での認否及び無罪推定侵害の相互関係を構造的に整理する。

刑事訴訟法第336条は、次のように定めている。

被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない。

本件において、犯罪の証明が合理的疑いを超える程度に達していたのかを、以下に検証する。
本件は、有罪判決が存在するから検証を終えてよい事件ではない。
この状態で有罪判決に至ったからこそ、検証を始めなければならない事件である。


推測供述と自白の区別

事実

本件の供述調書には、運転開始、走行経路及び事故態様について、本人が明確に記憶していない趣旨の記載が複数存在する。

確認できる主な記載は、次のとおりである。

「私は、酒に酔いすぎて店を出たことを覚えていません。」

(2011年(平成23年)10月22日付供述調書)

「市役所から出発して交通事故を起こすまで覚えていないのですが、出発した市役所から交通事故現場の位置を考えると帰宅するために運転していたと思います。」

(2011年(平成23年)10月22日付供述調書)

2011年(平成23年)10月25日付第1通供述調書には、飲食店で飲酒した後から交通事故現場で起こされるまで覚えていない旨が記載されている。

「飲食店で飲酒した後の事は、交通事故現場で起こされるまで覚えていません。」

※公開上の配慮から、飲食店名を匿名化した。

「飲酒運転した経路について、酒に酔いすぎて覚えていないのですが、普段市役所から帰宅するまでの経路とほぼ同じ所を通って飲酒運転したと思います。」

(2011年(平成23年)10月25日付第1通供述調書)

「①から②までの運転距離については、約11.5キロメートルであると警察から説明を受けて分かりました。」

(2011年(平成23年)10月25日付第1通供述調書)

「その会合を出た状況もハリアーを運転した状況も思い出せず、その後に記憶があるのは現場に来ていた警察官と話をしているシーンからなのです。」

(2011年(平成23年)11月2日付検察官面前調書)

「私は、逮捕された後、いろいろな捜査結果の内容を教えてもらいましたし、自分でも自分の携帯電話の発信履歴や着信履歴を見て確認しました。」

(2011年(平成23年)11月2日付検察官面前調書)

疑問

これらの供述において語られているのは、本人の直接的な体験記憶ではない。
捜査機関から示された事故状況、車両位置、飲酒検知結果、携帯電話の発着信履歴、目撃情報及び実況見分結果等を前提として、そうだったのだろうと思うと述べたものである。

少なくとも、運転開始、走行経路及び事故態様という核心部分については、自らの体験記憶を語った供述ではない。

核心部分が直接記憶ではなく推測に基づく以上、これを本人の体験記憶に基づく自白として扱い、運転者性を直接かつ決定的に基礎付ける証拠とすることには、根本的な問題がある。
調書末尾の「以上のとおり間違いありません」という確認文は、供述調書に付される定型的な記載である。

供述内容自体が、「覚えていない」「思います」「説明を受けて分かりました」といった表現によって構成されている以上、末尾の確認文のみを根拠として、供述全体を体験記憶に基づく自白であると評価することはできない。


本件で検察官が負うべき立証の内容

被告人の供述が推測供述にとどまるとすれば、検察官は、その供述だけに依存することなく、独立した客観証拠による裏付けを含む証拠全体によって、被告人が事故当時に車両を運転していたことを合理的疑いを超えて立証しなければならない。
具体的には、少なくとも次の事項が、客観的証拠によって示される必要があった。

第一に、事故時に被告人が車両を運転していたこと。
第二に、事故直前に被告人が自ら運転を開始し、事故現場まで走行したこと。
第三に、事故時の運転者が被告人であったと断定することに合理的疑いを生じさせる他の可能性が、客観証拠によって排除されること。

この立証は、目撃証言、現場の物理的状況、車内の痕跡、携帯電話の発着信履歴、代行業者とのやり取り、事故後の発見状況等の客観証拠を総合して行われるべきものであった。


各疑問が示す立証上の問題

運転者性の証明構造について

事故後に現場へ到着した警察官が、被告人を車内のどの位置で発見したのか、その具体的確認方法、接近方向、降車動線及び飲酒検知場所について、公判廷で証言し、反対尋問を受けた事実は、少なくとも判決書及び現在確認できる記録上、確認できない。

仮に事故後の発見時に被告人が運転席付近にいたとしても、そのことのみから、事故時にも被告人が運転席にいて車両を運転していたと直ちに断定できるわけではない。
本人の供述は、記憶欠落状態での自己認識に基づくものである。

したがって、運転者性という有罪認定の核心事実について、独立した証拠による検証が必要であった。

判決書の証拠標目には、実況見分調書2通及び捜査報告書2通が掲げられている。

しかし、少なくとも判決書及び現在確認できる記録からは、これらの書面がどの証拠採用手続を経て、運転者性の認定にどの範囲で用いられたのかは明らかでない。

また、作成者が公判廷で供述し、弁護人による反対尋問を受けた事実も確認できない。

したがって、これらの書面が、事故時の運転者が被告人であったことを独立して基礎づける証拠として、どの程度の証明力を持つのかを検証する必要がある。

なぜ、午後7時50分頃のまま起訴せず、午後7時40分頃へ変更したのか

事故時刻は、どのように確定されたのか

午後7時50分頃から午後7時40分頃への変更と、初動捜査との関係

本件では、事故時刻について、捜査の途中で重要な変更が生じている。

逮捕容疑及び警察段階の資料では、事故時刻は午後7時50分頃として扱われていた。

2011年(平成23年)10月20日付司法警察員面前調書にも、事故時刻は午後7時50分頃と記載されている。

しかし、同調書には、事故時刻及び事故場所について、次のように記載されている。

「事故を起こした時間と場所は警察官から聞いて分かりました。」

すなわち、当初の午後7時50分頃という時刻は、本人が事故時の直接記憶に基づいて述べたものではない。警察官から示された時刻である。

その後、2011年(平成23年)10月24日には実況見分が行われた。

しかし、実況見分調書には、本人が事故現場までの経路について覚えていないと述べたため、市役所駐車場から事故現場まで、現時点で通るとする道路について説明を求めた旨が記載されている。

したがって、この実況見分も、本人が事故当日の走行経路を記憶に基づいて再現したものではない。

さらに、2011年(平成23年)11月2日付検察官面前調書では、事故時刻が午後7時40分頃と整理されている。

この変更も、本人が事故時刻を直接思い出したことによるものではない。

同調書では、午後7時14分に運転代行業者へ催促の電話をかけたこと、午後7時30分頃に片側交互通行箇所で目撃されたとされること、その地点から事故現場まで約10分程度を要すると考えられることを組み合わせ、次のように記載されている。

「ガードレールに衝突する事故を起こしてしまった時刻は、午後7時40分頃だと思われます。」

その後、2011年(平成23年)11月9日の起訴状及び2012年(平成24年)1月16日の有罪判決では、午後7時40分頃が採用された。

事故時刻の変遷

段階事故時刻
2011年(平成23年)10月19日 逮捕容疑午後7時50分頃
警察段階の本人供述午後7時50分頃
2011年(平成23年)11月2日 検察官面前調書午後7時40分頃へ変更
2011年(平成23年)11月9日 起訴状午後7時40分頃
2012年(平成24年)1月16日 有罪判決午後7時40分頃

なぜ、わずか10分の変更が重要なのか

問題は、単に事故時刻が10分異なっているということではない。

本件において、事故時刻は、単なる付随的事項ではない。

事故時刻は、次の各事情を接続する重要な前提である。

運転代行業者への発着信履歴
自ら運転を開始したとされる時点
午後7時30分頃とされる目撃情報
片側交互通行箇所から事故現場までの推定所要時間
約11.5キロメートルの走行認定
110番通報
警察官の現場臨場
事故後の車両及び車内の状況

午後7時50分頃と午後7時40分頃とでは、これらの事情の時間的整合性が変わる。

したがって、この10分間の変更は、些細な訂正として扱うことはできない。

110番通報及び初動捜査との関係

本件では、事故現場を通り掛かった者による110番通報を受けて警察官が現場へ臨場し、事故が発覚したとされている。

そうであるならば、午後7時50分頃という当初時刻が、どの資料又は認識に基づいて設定されたのかを明らかにする必要がある。

また、事故時刻を午後7時40分頃とするのであれば、事故発生から110番通報、警察官の臨場、車両確認までの時間関係も説明されなければならない。
午後7時40分頃という時刻へ変更することにより、事故発生後から通報又は警察官臨場までの間に、時間的な空白が生じる可能性がある。

その空白時間において、車両及び車内の状況がどのようなものであったのかも、運転者性を検討する上で重要である。

変更前も変更後も、本人の直接記憶ではない

本件で重要なのは、変更前の午後7時50分頃も、変更後の午後7時40分頃も、本人の直接記憶によって確定された時刻ではないということである。

変更前の午後7時50分頃は、警察官から示された時刻である。
変更後の午後7時40分頃は、午後7時30分頃とされる目撃情報、運転代行業者への発着信履歴及び推定所要時間を組み合わせ、逆算する形で整理された時刻である。

したがって、問われるべきなのは、本人の供述が変わったということだけではない。

事故時刻が、本人の直接記憶とは独立した客観的証拠によって、合理的疑いを超える程度に立証されたのかという点である。

本件で明らかにされるべきこと

本件では、少なくとも次の点が明らかにされる必要がある。

110番通報は何時何分に行われたのか。
通報者は、事故の瞬間を見たのか。それとも、事故後に停止していた車両を発見したのか。
警察官は何時何分に現場へ到着したのか。
午後7時50分頃という当初時刻は、誰が、どの資料又は認識に基づいて設定したのか。
午後7時40分頃への変更により生じる事故後の時間帯について、車両及び車内の状況はどのように確認されたのか。
午後7時30分頃の目撃情報は、誰の、どのような観察に基づくものなのか。
目撃されたのは車両なのか、運転者本人なのか。
車両の識別、運転者の識別及び目撃時刻の正確性は、どのように検証されたのか。
片側交互通行箇所から事故現場までの推定所要時間は、どのような条件で確認されたのか。

これらの前提事実は、それぞれ独立した証拠によって裏付けられているのか。

反対尋問による検証は行われたのか

判決書の「証拠の標目」には、被告人本人の公判廷供述、被告人及び関係者の供述調書、捜査報告書、酒酔い鑑識カード、実況見分調書等が掲げられている。

しかし、少なくとも判決書及び現在確認できる記録からは、110番通報者、現場に臨場した警察官及び午後7時30分頃の目撃情報に関係する者について、公判で証人尋問が行われたことは確認できない。

供述調書等が証拠として採用されたとしても、それによって証明力の検討が不要になるわけではない。

証拠として用いることができるかという問題と、その証拠がどの程度信用できるかという問題は、区別されなければならない。

本件の核心的疑問

本件で問われているのは、検察官の意図を証拠なく断定することではない。

また、午後7時50分頃が絶対に正しいと断定することでもない。

問題は、午後7時40分頃という事故時刻が、一応説明可能であるかどうかではない。

その時刻が、110番通報及び初動捜査との関係を含め、独立した証拠によって合理的疑いを超える程度に立証されたのかという点である。

本人が公判廷で起訴事実を認めたという事実は、これらの点を検証してはならない理由にはならない。

この問いに合理的な説明が示されない限り、本件の立証構造、供述の信用性及び合理的疑いを超える証明の有無には、重大な未解明事項が残るのである。

運転代行への連絡について

2011年(平成23年)11月2日付検察官面前調書には、午後7時09分の代行依頼発信、午後7時14分の催促発信及び午後7時30分の代行業者からの着信が記録されている。

被告人は、複数回にわたって運転代行業者に連絡し、代行業者からも着信を受けていた。
判決は、「被告人が正しく駐車場所を伝えなかった上、十分連絡を取り合うことなく早々に自ら運転を開始した」と認定している。
しかし、複数回の発着信が存在する状況の下で、なぜ代行を利用できなかったのか、なぜ自ら運転を開始したと断定できるのかについて、判決の説明は十分ではない。
特に、事故時刻が午後7時40分頃であるとすれば、午後7時30分の着信から事故までの時間は極めて短い。

代行業者への発着信履歴は、運転開始時刻、事故時刻及び運転者性の認定を検証するうえで重要な事情である。

呼気濃度と走行距離について

判決は、一方で、被告人が「運転操作が適切にできないほど酔っていた」と認定している。

他方で、須賀川市役所駐車場から事故現場まで、複数の信号及び交差点を経由して約11.5キロメートルを走行したと認定している。

事故後の飲酒検知結果は、呼気1リットル中0.71ミリグラムであったとされている。
酩酊状態で一定距離を走行することが物理的に絶対不可能であると断定するものではない。
しかし、高いアルコール検知値、「運転操作が適切にできないほど酔っていた」とする認定及び約11.5キロメートルの走行認定が並存する以上、その両立可能性、道路状況、所要時間及び走行経過については、具体的な検証を要する。

判決書上、その点について十分な説明がなされているとは確認できない。

走行経路の供述形成について

2011年(平成23年)10月25日付供述調書には、飲酒運転した経路について、本人は

「酒に酔いすぎて覚えていない」

と述べながら、

「普段市役所から帰宅するまでの経路とほぼ同じ所を通って飲酒運転したと思います」

と供述している。
しかし、その経路は本人の直接記憶によって説明されたものではない。

また、2011年(平成23年)10月22日付供述調書には、事故現場方向へ至る経路について、普段利用していた運転代行業者が被告人を送る際に使用する経路であった旨の供述が記載されている。

この点は重要である。

事故現場に至った経路が、本人が通常自ら運転して帰宅する際の経路ではなく、普段利用していた運転代行業者が送迎時に使用していた経路であったとすれば、その経路選択が本人自身の意思的行動に基づくものであったのか、それとも別の事情を示すものなのかを検証する必要がある。
とりわけ、本人には当該経路を走行した直接記憶がない。

したがって、事故現場に至る最終区間については、通常の帰宅経路との関係、運転代行業者が普段使用していた経路との関係及び実況見分において示された経路との関係を整理する必要がある。

本人が記憶していない走行経路が、いつ、どの資料を前提として具体化されたのかは、供述形成過程を検証するうえで重要である。

目撃情報について

2011年(平成23年)11月2日付検察官面前調書には、国道118号沿いの新幹線高架下手前の片側通行箇所で、被疑者が車を運転しているのを見た人がいる旨が記載されている。

しかし、これは、検察官が被疑者に伝えた捜査結果として現れているものである。

少なくとも判決書及び現在確認できる記録上、当該目撃者本人が公判廷で証言し、弁護人による反対尋問を受けた事実は確認できない。

仮に、この目撃情報が運転者性認定の重要な基礎とされたのであれば、その証拠化の方法、証拠採用の根拠、視認条件及び反対尋問の機会の有無を確認する必要がある。


否認から推測供述形成に至る経緯

事実

逮捕翌日の2011年(平成23年)10月20日付新聞報道では、被疑者が容疑を否認していることが報じられていた。

その後の時系列は、次のとおりである。
2011年(平成23年)10月19日、逮捕及び初回取調べが行われた。この時点では、弁護士関与を示す資料は確認できない。
2011年(平成23年)10月20日、容疑否認との報道がある。この時点でも、弁護士関与を示す資料は確認できない。
2011年(平成23年)10月21日、検察官送致が行われた。弁護士事務所の計算書には、同日、実費預り金の受領が記録されており、少なくともこの日以降に弁護士関与が具体化したことがうかがわれる。
同日、新聞報道では、「大筋で容疑を認め始めた」とする趣旨の報道がなされている。

2011年(平成23年)10月22日、自白方向の供述調書が作成された。この調書には、当初否認した理由として、次のように記載されている。

「突然飲酒運転という社会的にも大変反響が大きい違反をしてしまったことから半分パニックになってしまい、初めは飲酒運転していないという話をしました。」

また、2011年(平成23年)10月19日の初回取調べでは、事件の核心部分だけでなく、出生、養子関係、経歴及び市議会議員となった経緯等の身上事項も聴取されている。
これらの聴取自体を、直ちに違法と評価するものではない。

しかし、逮捕直後、弁護士関与が具体化する前の段階で、本人がどのような心理状態に置かれていたのかを検証するうえで、無視することはできない事情である。

疑問

否認から自白方向への転換は、逮捕から数日の間に生じている。

2011年(平成23年)10月19日及び同月20日の取調べは、弁護士関与が具体化する前の段階で行われたと考えられる。
この転換の心理的背景、取調べの状況及び防御権行使の実質について、判決書は具体的に検討していない。
最初から一貫して本人が認めていたわけではないという事実は、公判廷での認否が、本人の体験記憶に基づく確信から生じたものかどうかを判断するうえで重要である。

刑事訴訟法第319条第1項は、次のように定めている。

強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁がされた後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない。

同項は、「任意にされたものでない疑のある自白」を証拠とすることができないと規定している。

したがって、捜査段階の供述については、その形成過程及び任意性を慎重に検討する必要がある。


公判廷における認否は、独立した自由意思に基づくものだったのか

事実

初公判は、2011年(平成23年)12月26日に行われた。

圓谷年雄は起訴事実を認め、同日に審理は結審した。

この時点では、既に第1回辞職勧告決議及び第2回辞職勧告決議が可決されていた。

第1回辞職勧告決議は、2011年(平成23年)10月26日、起訴前の勾留中に可決された。

その2日前の10月24日には議会運営委員会が開かれ、逮捕を前提として辞職を求める決議文案と、質疑、委員会付託及び討論を省略して表決する手順が整理されていた。

第2回辞職勧告決議は、2011年(平成23年)12月1日、第1回公判前かつ有罪判決前に可決された。

圓谷年雄は、その7日前の11月24日に開かれた議員全員協議会において、刑事裁判の結果を待って進退を判断するとの意思を示していた。

しかし、その4日後の11月28日に開かれた議会運営委員会では、この説明が第1回辞職勧告決議に応じる姿勢を示さないものと評価された。

その上で、第2回辞職勧告決議の理由、本人除斥、提案理由説明、質疑及び討論の省略、採決並びに可決後の告知手順が整理された。

また、逮捕直後の容疑報道、辞職勧告決議案の提出報道、第1回辞職勧告決議の可決報道、起訴報道及び第2回辞職勧告決議の可決報道が継続していた。

したがって、初公判の時点では、捜査段階で推測供述が形成された後、二度の辞職勧告決議を受け、その内容及び刑事手続の進行が継続的に報道されている状況にあった。

圓谷年雄は保釈中であったが、本件で重視すべき事情は、保釈中であったことそれ自体ではない。

捜査段階で推測供述が形成され、地方議会による反復された辞職要求及び継続的報道による社会的非難が存在する中で、初公判に至ったという累積的状況である。

少なくとも判決書及び当時の報道上、無罪推定侵害、議会による公的有罪視又はその下での防御権行使が、主要な争点として扱われたことは確認できない。

疑問

初公判における認否は、捜査段階で形成された推測供述と切り離して評価することはできない。

圓谷年雄は、事故の核心部分について直接記憶を欠いたまま、捜査機関から示された情報を前提として、そうだったと思うとの供述を重ねていた。

その後も、実際の運転場面に関する記憶が回復したことを示す記載はない。

さらに、初公判時点では、既に二度の辞職勧告決議が可決され、刑事裁判の結果を待つという本人の立場も、議会によって否定的に評価されていた。

このような状況の下では、否認を維持して争い続けることへの心理的及び社会的負担が、通常の刑事手続におけるものとは異なる形で存在した可能性がある。

もっとも、これらの事情だけから、公判廷における認否が強制されたもの又は任意性を欠くものであったと直ちに断定することはできない。

しかし、公判廷における認否については、捜査段階の供述形成過程、公的機関による判決前の有罪視、外部からの累積的圧力及び実質的な防御権行使の状況を踏まえ、その自由意思性、信用性及び証明力が慎重に評価される必要があった。

単に「公判で認めた」という一事をもって、捜査段階に残された合理的疑い又は刑事手続上の問題が解消されたと扱うことはできない。


憲法第38条第3項及び刑事訴訟法第319条第2項・第3項との関係

日本国憲法第38条第3項は、次のように定めている。

何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

また、刑事訴訟法第319条第2項は、次のように定めている。

被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない。

同条第3項は、次のように定めている。

前二項の自白には、起訴された犯罪について有罪であることを自認する場合を含む。

したがって、初公判において起訴事実を認めたという一事のみをもって、運転者性が証明されたと扱うことはできない。

本件では、公判廷における認否とは別に、被告人が事故時に車両を運転していたことを裏付ける独立した補強証拠が存在し、それを含む証拠全体によって合理的疑いが排除されていたのかを検証する必要がある。
判決書の証拠標目に複数の書証が掲げられていることと、それらが運転者性を合理的疑いを超えて証明するだけの証明力を備えていることは、同一ではない。

証拠の存在と、その証明力は区別して検証されなければならない。


判決理由の「市民の衝撃と失望」は何を根拠としたのか

事実

2012年(平成24年)1月16日の判決において、裁判官は次のように述べた。

被告人は現職の市議会議員という立場にあり、市民の代表として高い遵法精神が求められていたにもかかわらず酒酔い運転という故意犯に及んだことは強い非難に値するし、須賀川市民に与えた衝撃と失望は軽視できない。

判決書の「証拠の標目」には、司法警察員に対する第三者3名の各供述調書及び検察官に対する第三者2名の各供述調書が掲げられている。

このうち、検察官に対する供述調書を作成された2名は、当時の須賀川市議会議員であり、第1回及び第2回辞職勧告決議に賛成した者である。

第三者5名に対する証人尋問及び圓谷年雄側による反対尋問は行われていない。

判決書からは、第三者5名の具体的な供述内容、それぞれの供述調書がどの事実の認定に用いられたのか及び「須賀川市民に与えた衝撃と失望」という量刑評価との関係は明らかでない。

疑問

「須賀川市民に与えた衝撃と失望」という評価は、単なる被告人の職責に関する抽象的評価にとどまらない。

市民一般に、現実の心理的反応又は社会的影響が生じたことを前提とする表現である。

そうであるならば、その評価が、どの証拠又は事情に基づくものなのかが明らかにされる必要がある。

裁判官による一般的な推論なのか、報道によって形成された社会的評価なのか、辞職勧告決議を含む議会の対応なのか、又は第三者の供述内容によるものなのかは、判決書上明らかでない。

また、判決前の辞職勧告決議に賛成した市議会議員2名の供述調書が証拠として掲げられているが、その供述内容、議会決議への関与、認識、立場及び信用性について、公判廷における証人尋問及び反対尋問による吟味は行われていない。

この事実だけから、辞職勧告決議又は市議会議員の供述調書が量刑判断へ具体的に影響したと断定することはできない。

しかし、公的機関による判決前の有罪視、その決議に賛成した市議会議員の供述調書及び「須賀川市民に与えた衝撃と失望」という量刑理由が、同じ刑事事件の中に存在している以上、それぞれを当然に完全無関係な事情として切り離すこともできない。

したがって、「市民の衝撃と失望」という評価の具体的根拠と、第三者供述調書が事実認定及び量刑判断に果たした役割について、慎重な検証が必要である。


本件供述の構造的問題

以上の各供述調書及び実況見分調書を時系列で確認すると、本件では、本人の体験記憶から一貫した事件像が語られたのではなく、逮捕後に捜査によって収集又は整理された情報が本人に示され、その情報を前提とする推測が供述調書として記録されることにより、運転経路、運転意思及び事故時刻を含む事件像が段階的に具体化された構造が確認できる。

2011年(平成23年)10月20日付供述調書では、本人は、飲食店で飲酒した後から事故現場で警察官に起こされるまでの記憶を欠いていた。

同調書に記載された事故時刻及び事故場所についても、本人が自らの記憶によって特定したのではなく、警察官から聞いて分かった旨が記載されている。

したがって、同調書に記載された午後7時50分頃という事故時刻は、本人の体験記憶に基づくものではなく、警察官から示された情報が本人の供述調書に取り込まれたものである。

2011年(平成23年)10月22日付供述調書では、本人が飲食店を出たこと、市役所まで歩いたこと、市役所に駐車していた車両を自ら運転して出発したこと及び事故現場方向へ走行した理由について、携帯電話の発信履歴、車両の駐車場所、普段利用していた運転代行業者及び通常の帰宅経路等を前提として、「思います」「だと思います」と推測する供述が記載されている。

これらは、本人が実際の行動を思い出して説明した供述ではない。

捜査によって確認された事情と本人の生活習慣を組み合わせ、記憶のない行動を本人自身が推測して説明したものである。

2011年(平成23年)10月24日の実況見分においても、本人は、市役所から事故現場までの実際の走行経路について覚えていないと説明している。

それにもかかわらず、市役所駐車場を出発地点、事故現場を到着地点として、その間を結ぶ約11.5キロメートルの経路が実況見分調書及び経路図として記録された。

この経路は、本人が事故当日の走行を体験記憶に基づいて再現したものではない。

出発地点と事故現場との位置関係及び通常使用するとされた道路を基礎として設定された、推定による経路である。

翌10月25日付供述調書では、前日に作成された実況見分調書添付の経路図が本人に示され、走行距離についても、約11.5キロメートルであると警察官から説明を受けて分かった旨が記載されている。

したがって、本件では、本人が実際の走行経路を思い出し、その記憶に基づいて実況見分調書が作成されたという順序ではない。

本人が実際の走行経路を記憶していない状態で経路が捜査資料として設定され、その経路図及び距離が本人に示された後、設定された経路を前提とする説明が本人の供述調書として記録されたという順序である。

2011年(平成23年)11月2日付検察官面前供述調書には、本人が、逮捕後に複数の捜査結果を教えられ、自らも携帯電話の発信履歴及び着信履歴を確認した旨が記載されている。

その上で、運転代行業者との発着信時刻、午後7時30分頃とされた走行目撃情報及び各地点間の推定所要時間を組み合わせ、事故時刻を午後7時40分頃とする供述が作成されている。

午後7時40分頃という時刻は、本人が事故時刻を思い出したことによって判明したものではない。

逮捕後に収集又は整理された捜査情報と推定所要時間を組み合わせ、逆算によって具体化された時刻である。

また、警察段階の供述調書では、運転開始及び走行経路について推測表現が繰り返されていた。

これに対し、11月2日付検察官面前供述調書では、実際の運転場面に関する記憶が回復したとは記載されていないにもかかわらず、運転代行を待ちきれず、自ら運転して帰ろうと考えたという、運転意思及び内心に関する、より断定的な説明が記載されている。

本人の記憶状態が変化したことを示す記載がないまま、捜査情報の提示及び取調べの進行に伴って、供述が推測的な説明から、運転意思及び自己責任を明確に認める説明へと変化している。

この変化は、本人が記憶を回復したことによるものとは確認できず、捜査側から示された情報を前提とする推論が、より断定的な供述へと変化したものと考えられる。

判決書の「証拠の標目」には、被告人本人の供述調書のほか、司法警察員に対する第三者3名の各供述調書及び検察官に対する第三者2名の各供述調書が掲げられている。

このうち、検察官に対する供述調書を作成された2名は、当時の須賀川市議会議員であり、第1回及び第2回辞職勧告決議に賛成した者である。

判決書からは、これら5名の具体的な供述内容及び各供述調書がどの事実の認定に用いられたのかは明らかでない。

また、11月2日付検察官面前供述調書に記載された午後7時30分頃の走行目撃情報が、これら5名の供述のいずれかに基づくものであるかも確認できない。

一方、これらの供述者に対する証人尋問及び被告人側による反対尋問が行われていないことは事実である。

したがって、本件では、第三者5名の供述内容が公判廷における証人尋問及び反対尋問によって直接吟味されないまま、その供述調書が有罪認定の証拠として用いられたことになる。

さらに、本件では、2011年(平成23年)10月24日午後1時40分から午後2時5分まで実況見分が行われた。

圓谷年雄は、実際の走行経路を記憶していないと説明したが、市役所駐車場を出発地点、事故現場を到着地点として、約11.5キロメートルの経路が捜査資料として記録された。

その約35分後の午後2時40分から、須賀川市議会議会運営委員会が開かれた。

議会運営委員会では、逮捕を前提として辞職を求める決議文案と、質疑、委員会付託及び討論を省略して表決する手順が整理された。

翌10月25日には、前日に作成された経路図が圓谷年雄に示され、約11.5キロメートルという距離についても警察官から説明を受けた上で、経路及び運転意思に関する供述調書が作成された。

その翌日の10月26日には、圓谷年雄が起訴前の勾留により本会議へ出席できない状態で、第1回辞職勧告決議が可決された。

実況見分と議会運営委員会が同日に行われたことだけから、捜査機関と須賀川市議会が連絡又は連動していたと断定することはできない。

しかし、捜査側において、圓谷年雄が実際の走行経路を記憶していない状態のまま経路及び距離に関する資料が形成された同日に、議会側では、逮捕を前提として辞職を求める決議文案及び採決手順が具体化されていたという時間的関係は確認できる。

その後も身柄拘束は継続し、勾留延長を経た2011年(平成23年)11月2日に、逮捕後の捜査結果を前提として、午後7時40分頃という時刻及び運転意思に関する検察官面前供述調書が作成され、同月9日に起訴された。

したがって、圓谷年雄の供述及び事件像が具体化されていく捜査過程と、起訴前の身柄拘束の継続並びに地方議会による公的な辞職要求の形成及び可決は、時間的に並行して進行していた。

もっとも、現在確認できる資料のみから、第1回辞職勧告決議が個々の取調べ、供述内容、勾留延長又は検察官の判断に直接影響したと断定することはできない。

ここで確認できるのは、圓谷年雄の供述及び公訴事実が具体化された時期と、刑事責任が確定する前に地方議会が辞職を求める理由及び採決手順を形成し、公的意思表示を行った時期とが、同一の起訴前勾留期間中に重なっていたという事実である。

以上の経過から、証拠が捏造されたと断定することはできない。

また、現在確認できる資料だけから、逮捕時点に犯罪の嫌疑が存在しなかったと断定することもできない。

しかし、本人に実際の運転場面に関する記憶がない状態が継続していたにもかかわらず、警察官から示された事故時刻及び事故場所、携帯電話の発着信履歴、本人の生活習慣、通常の帰宅経路、実況見分によって設定された経路、警察官から示された走行距離、運転代行業者に関する情報、第三者の目撃情報及び各地点間の推定所要時間を組み合わせることにより、運転経路、運転意思及び事故時刻を含む事件像が段階的に具体化されたことは、現在の資料から確認できる。

本件では、捜査側から示された情報を本人が受け入れ、又はその情報を前提として自らの行動を推測し、その推測が本人の供述調書として記録された。

その後、記憶が回復したことを示す事情がないまま、供述はより断定的な内容へと変化し、午後7時40分頃という時刻、運転経路及び運転意思が、公訴事実及び有罪判決の前提として用いられた。

したがって、本件の問題は、個々の供述に表面的な矛盾があるかどうかだけではない。

本人の体験記憶によって語られたのではない事実が、捜査側から示された情報、本人による推測、実況見分によって設定された経路及び推定所要時間を通じて本人の供述として記録され、その供述が後の取調べ、起訴及び有罪認定へと引き継がれたという、供述及び事件像の形成過程そのものに構造的な問題がある。


刑事訴訟法第336条との関係

刑事訴訟法第336条は、次のように定めている。

被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない。

「本人もおそらく運転したと思っている」「状況から見てそう考えられる」というだけでは、合理的疑いを超える証明にはならない。

被告人には、運転開始、走行及び事故態様について直接記憶がない。
その供述が、捜査機関から示された状況説明を前提とする推測にとどまる以上、これを本人の体験記憶に基づく自白として扱い、運転者性を直接かつ決定的に基礎付ける証拠とすることはできない。

検察官が、独立した客観証拠による裏付けを含む証拠全体によって、被告人の運転事実を合理的疑いを超えて証明できないのであれば、刑事訴訟法第336条により、無罪が言い渡されるべき事件であった。


無罪推定侵害、公正な裁判及び証人審問権との接続

本件では、合理的疑いの問題と、判決前の公的有罪視の問題を区別して検証する必要がある。

まず、第1回及び第2回辞職勧告決議並びにその提案理由自体が、自由権規約第14条第2項及び一般的意見32号30項が保障する無罪推定に適合していたかは、辞職勧告決議が捜査、起訴又は判決へ具体的な影響を及ぼしたことを証明できるか否かとは独立して判断されなければならない。

無罪推定は、有罪判決の結果を左右したことが証明された場合にだけ保護される権利ではない。

有罪判決が確定する前に、公的機関から有罪者として扱われないこと自体が、その保障内容である。

その上で、本件刑事手続が、公的機関による判決前の有罪視が存在する状況の下で進行したことを、公正な裁判及び適正手続との関係で検証する必要がある。

圓谷年雄は、記憶の欠落した状態で取調べを受け、捜査機関から示された情報を前提として、自らの行動を推測する供述を重ねた。

その供述は、実際の運転場面に関する記憶が回復したことを示す事情がないまま、より断定的な内容へ変化し、起訴及び有罪判決の前提として用いられた。

その間に、起訴前の勾留中に第1回辞職勧告決議が、第1回公判前かつ有罪判決前に第2回辞職勧告決議が行われた。

また、判決書の「証拠の標目」には、司法警察員に対する第三者3名の各供述調書及び検察官に対する第三者2名の各供述調書が掲げられている。

第三者5名に対する証人尋問及び圓谷年雄側による反対尋問は行われていない。

このうち2名は、第1回及び第2回辞職勧告決議に賛成した須賀川市議会議員である。

判決書のみからは、各供述調書が採用された刑事訴訟法上の具体的根拠、弁護側の同意の有無又は各供述調書がどの事実の認定に用いられたのかは確認できない。

したがって、証人尋問及び反対尋問が行われなかったことだけから、直ちに供述調書の証拠能力が否定される、又は証人審問権侵害が確定すると断定することはできない。

しかし、供述調書を証拠として用いることができるかという問題と、供述者本人の記憶、認識、供述経過、立場及び信用性を、公判廷における尋問及び反対尋問によって実質的に争う機会が保障されていたかという問題は区別されなければならない。

憲法第37条第2項は、刑事被告人にすべての証人を審問する十分な機会を保障している。

自由権規約第14条第3項(e)も、被告人に対し、自己に不利な証人を尋問し又は尋問させる権利を保障している。

したがって、本件では、第三者5名、とりわけ判決前の辞職勧告決議に賛成した市議会議員2名について、その供述内容及び信用性を争う実質的な機会が保障されていたかを、憲法第37条第2項、自由権規約第14条第3項(e)及び一般的意見32号39項との関係で検証する必要がある。

本件の合理的疑いは、証拠評価上の細部ではない。

圓谷年雄の直接記憶に基づかない推測供述が、体験記憶に基づく自白であるかのように扱われ、事故時の運転者性が、独立した客観証拠による裏付けを含む証拠全体によって合理的疑いを超えて立証されたのかを十分に検証しないまま、公判廷における認否及び有罪判決へ接続したという、刑事手続上の構造的問題である。

しかも、その刑事手続は、起訴前の勾留中に行われた第1回辞職勧告決議と、第1回公判前かつ有罪判決前に行われた第2回辞職勧告決議という、公的機関による判決前の有罪視が存在する状況の下で進行した。

したがって、第4部で扱う無罪推定侵害とあわせて、本件刑事手続の公正性、適正手続、証拠評価及び証人審問権について、改めて検証する必要がある。

それでは、事件の記録と検証 第4部 無罪推定原則の侵害へお進みください。

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